更新日:2022年01月26日 21:42
スポーツ

新庄ビッグボスはどんな野球をするのか。多彩な“上司遍歴”からその野球観を探る

 ビッグボス新庄剛志氏が過去に仕えた監督たちを振り返るシリーズの後編。前編では1996年の藤田平監督までのなかなか勝てない阪神時代までを振り返り、’96年の最後にウインターリーグでトレイ・ヒルマン監督にすでに出合っていた話までを紹介した。野村チルドレンと紹介されることの多い新庄ビッグボスだが、影響を受けたであろう監督の数はメジャー時代を含めて実に多い。

はじめての優勝経験監督に学ぶ

札幌ドーム 1997年から阪神の監督は吉田義男氏に変わった。1985年の阪神優勝監督であり、前年までフランスの代表監督を努め「ムッシュ」と呼ばれるようになった吉田氏が阪神の監督になるのは三度目。ただ、この年は前年ボロボロだった阪神を立て直すには色々補強で苦しんだ面は否定できない。  なにせ、打線強化で補強した外国人が、あのグリーンウェルだった年だ。ただ、最下位は脱出し、翌年には矢野、井川、坪井、パウエル、大豊が加入し、さらには今岡の台頭など、その後2003年に優勝するためのスタートを切った監督だったといってもよい。  ただ、肝心の新庄氏は打の面でいえば2割2分前後を続けており、どちらかといえば意外性のある守備の人になってしまっていた。ちなみに捕殺は2年連続でリーグトップ。

ムッシュ吉田からは“立て直し”を学んだか

 新庄氏が吉田氏から学ぶとすれば立て直しという面だろう。それは翌年から監督となった野村氏も同じだが、現在の日本ハムに一番重なる状況はこの吉田氏が監督だった阪神と被るのかもしれない。  1999年からは野村克也氏が阪神監督となった。野村氏とのエピソードは山のように紹介されているのと、本稿では野村氏以外からの影響を紹介する内容なので詳細は割愛するが、「野村克也さんをしのぶ会」にも出席したように、間違いなく大きな影響を受けたのは間違いないだろう。  その野村監督が在任中である2001年から、新庄氏はFAによってメジャーへ、ニューヨーク・メッツに入団する。
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メジャーでの経験はどう生かされるか
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公営競技ライター・Youtuber。近鉄ファンとして全国の遠征観戦費用を稼ぐため、全ての公営競技から勝負レースを絞り込むギャンブラーになる。近鉄球団消滅後、シグナルRightの名前で2010年、全公営競技を解説する生主として話題となり、現在もツイキャスやYoutubeなどで配信活動を継続中。競輪情報サイト「競輪展開予想シート」運営。また、ギャンブラーの視点でプロ野球を数で分析するのが趣味。
Twitter:@signalright

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