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2番手捕手として野球人生を貫いた小田幸平「ベンチで出番を待つ気持ちを伝えていきたい」

●小田幸平(37歳)の再就職先/前 中日⇒野球解説者など

◆「レギュラーにはわからない、2番手の考えや気持ちを伝えていきたい」

小田幸平

小田幸平

 巨人で8年、中日で9年。17年間のプロ生活の大半を「2番手捕手」として貫いた小田幸平(37歳)が1月26日、名古屋市内で引退を発表した。この日は中日ナインが合同自主トレのため14時半の便で沖縄へ向かう日。強面な外見とは裏腹に、気配り上手な小田は取材に出向く番記者を慮って、異例の午前11時から会見を開いた。

「一度もレギュラーを獲れなかった僕が言うのも生意気かもしれませんが、17年間やってきてトライアウトやテストを受けてまで現役にしがみつくつもりはなかった。必要とされていたら年齢に関係なくオファーは来ますからね」

 実はSPA!のインタビューは引退発表の数日前に行われた。一縷の望みを託しながら年が明けても人知れずトレーニングを続けてきた。

「目標なきところに、意識は持っていきづらい。子供の頃からボールがあれば放って、バットがあれば最後まで振り回していたのに、体が動かない。走ると決めたのにまったく気分が乗らず、ボールは握れどキャッチボールができない。所属が決まらないことがこんなに苦しいとは思いませんでした」

 ’98年ドラフト4位指名を受け、巨人に入団したが、プロの世界は想像を絶する世界だった。1年目のキャンプ初日、清原、石井(浩)らの打撃練習を目の当たりにし、そのレベルにおののいた。

「ブルペンに行ったら桑田、槙原、斎藤が揃い踏みのとんでもない世界。するとたまたま桑田さんが僕を見て『キャッチングうまいな』と声をかけてくださったんです」

小田幸平

引退会見の場で、ヒーローインタビューでのお約束「やりましたー!」を再現した小田。「(引退なのに)なんでやねん!」と自らツッコんだことが話題に。明るいキャラクターはレギュラー級だ

 現在でも師と仰ぐ桑田から言われたひと言が救いだったという。

「桑田さんのあのひと言に乗せられて、ボクは守備で食べていこうと決心できた。守備に関しては誰にも文句を言われないよう調べ、工夫してきた。その反動かバッティングはからっきしでしたが(笑)」

 ’06年に巨人入りした野口茂樹の人的補償として中日に移籍した小田が過ごした9年間は球界最長。これは隠れた記録と言っていい。

「『何よりの補強』と獲得してくれた落合監督(現GM)には感謝しています。巨人に残っていたらとっくの昔にクビだったでしょう」

 中日がサヨナラ勝ちすると、ベンチの小田は真っ先に氷水を持って飛び出す、それもウリになった。

「入団当初、中日には暗いイメージを持っていたので、チームを明るくするのが自分の仕事だと思っていました。『チームを明るくする人的補償が僕だ』と。でも実際、みんな明るかった。明るさをグラウンドで出せなかっただけ。チームのみんなができないこと、嫌なことも僕は全部率先してやりました。これは中日での9年間でまっとうしました。現役中、充実感はあったし、球団からは引退試合を用意しようかと言っていただいた」

 小学生の頃、バース、掛布、岡田の“伝説の3連続ホームラン”をスタンドから目撃してプロ野球への夢を膨らませた小田は17年間の現役生活で2本しかホームランを打てなかった。しかしその1本は、クラーク、高橋周平に続いて放った3連続ホームラン。“伝説”を再現してみせた。17年間で371試合と出場試合数は多くないが、ファンの心に残る選手となった。

 明るく屈託がなく、意外と場の空気が読める小田のもとには会見直後からキー局の朝の番組の準レギュラーや、ウェブメディアからの仕事が舞い込み意気込む。

「2番手は2番手。レギュラーが1番ですから、野球では負けた人。僕はレギュラーの気持ちはわからないですが、彼らに2番手の気持ちもわからないと思うんです。どんな気持ちでベンチで出番を待ってるかとか。今後は僕にしかわからないことを伝えたいんです」

【小田幸平(おだこうへい)】
’77年生まれ。兵庫・市川高校から三菱重工神戸を経て’97年ドラフト4位で巨人入団、’06年中日にFAの人的補償で移籍。社会人時代は強打の捕手として全日本に選出。愛称「ODA(オーディーエー)」を冠した著書『ODA52』(双葉社刊)を出版

●成績(NPB)17年間 371試合/打率.197 2本塁打

― 戦力外となった[高齢プロ野球選手]の再就職先【2】 ―

ODA52

2番手捕手の処世術




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