ライフ

ヨコ文字を連発する、意識高い系おっさんに訪れた結末――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第29話>

 昭和は過ぎ、平成も終わりゆくこの頃。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか——伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート! patoの「おっさんは二度死ぬ」【第29話】おっさんエビデンス  職場にめちゃくちゃ感化されやすいおっさんがいる。  おっさんとは基本的に感化されやすい生き物だ。  例えば僕が子供だった時代は、よくブルースリーやジャッキーチェンなどのカンフー映画をテレビで放送していたのだが、それを見ていた父親はCMの間にはもうブルースリーになっていた。  ホワッとか言いながら小刻みに震えていて完全にブルースリーだった。めっちゃブルースリーだった。完全に感化されて真似していた。放送を見て5分くらいで感化されてしまうのだから、相当に影響を受けやすいのだろう。おっさんという年代はそういうものなのだ。  我が職場にもそんな感化されやすいおっさんがいる。その凄まじさは、昨日おっさんがなにを観て、何に影響を受けたのか一発で分かるほどだ。  普通に仕事の話をしているのに、 「そんなのぜんぜん甘いですよ。あまーーーーい! ですよ」  とくるので、ああ、昨日はバラエティ番組見ていて、あまーい! って叫ぶ人出ていたんだなと予想できるのだ。前日のテレビ欄を検索すればやはり出ていて、おっさんが何の番組を観ていたかまでわかってしまう。  サッカーの日本代表戦があった翌日は、 「絶対に負けられない仕事がそこにはある」  とか脈略なく言い出したりする。言葉が過ぎるかもしれないけど、彼はけっこう仕事で負け続きなのにだ。  これは僕らにとってもかなり心理的負担が大きかった。知りたくもないのに、どうしてもおっさんの昨日観たテレビ番組を連想してしまうのだ。そういうのが出るたびに「昨日はカーリング娘を見たんだな」と苦い表情で受け止める同僚たちがいた。知らないおばさんが「今日は黒よ」と無意味にパンツの色を教えてくる行為に近い。知りたくないのだ。  そんな状況が続く中、ついに溜まりかねたのか同僚の一人がおっさんに言った。 「〇〇さん、いつもテレビのネタばかりっすねー」  誰もが「ついにいったか!」と思った。「やりよった!」と思った。だれもが、この「知りたくもないのに昨日観たテレビを知らされる」という悪魔じみたシステムから解放される、そう思った。指摘した彼のことを救世主として崇めようかと思ったほどだ。  しかし、悲劇はそれで終わらなかった。
次のページ right-delta
それは意識が高いのではなくただのルー大柴だった
1
2
3
4
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


記事一覧へ
おすすめ記事