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中年男、4人集まれば姦しい。おっさんの股関節を破壊するローカル電車――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第26話>

 昭和は過ぎ、平成も終わりゆくこの頃。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか——伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート! patoの「おっさんは二度死ぬ」【第26話】おっさんゲーム  おっさんは暇をしない。  考えてみると、若かりし頃は常に暇と戦う日々だった気がする。ことあるごとに「暇だ」と口にし、まるで“暇”が罪であるように感じながら、何かをしていなければならないという焦燥感をもって過ごしていた。  しかしながら、おっさんとなった今、その言葉を口にすることはほとんどなくなった。あれだけ憎んでいた“暇”という現象をすっぽりと忘れ去って日々を過ごす自分がいた。あれほどの焦燥感、あれはなんだったのだろう。いったいどこに行ってしまったのだろう。  ここで注意すべきなのは、おっさんになったから忙しくなって暇じゃなくなったからだろうとかそういう単純なことではないのだ。  そりゃあ少しは忙しくなったかもしれないが、若かろうが、おっさんであろうが、何もすることのない“暇”な時間はそこにある。問題はそれをどう捉えるかなのだ。  あるローカル線に乗っていた。  いつ廃止になっておかしくないであろうその鉄道は、のどかな山間の風景の中を走っていた。  車内には僕と青春18きっぷ旅と思われる若者、野菜をもったおばあさんしかいない。3人合わせた運賃は1000円もいかないのかしれない。よく存続してるよなあなどと考えていた。  そこには静寂だけがあった。  山間の駅に到着した。ホームに簡易的なベンチがあるだけの典型的な無人駅だ。深いため息のような音を立てて列車のドアが開いた。しかし、そうやって開かれた空間に人の姿はない。誰も迎え入れることなくまたドアが閉まる。ここまで何度も繰り返されてきた光景だ。  ただ、この駅では違った。一度閉まりかけたドアが再度開いたのだ。それからしばらく間をおいて、ドヤドヤとおっさんたちが乗り込んできた。 「間に合いましたな」 「間一髪」 「トクちゃんがモタモタしてるから」  乗り込んできたのはおっさんの四人組だった。雰囲気的にこの沿線にある温泉宿に泊まったような感じだった。かなり急いで走った様子で、息を切らしていた。これを逃すと次の列車は数時間後なので急いで乗り込んできた格好だろう。 「トクちゃんがウンコしてるから」 「出るもんは仕方がないだろ」  そんなことを言い合いながらおっさん4人はボックス席へと収まった。
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ローカル線の中で暇を持て余したおっさんたちは……
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