B’zが紅白で“一人勝ち”したワケ。近年の歌番組には「欠けていたもの」が視聴者を魅了
昨年の紅白のMVPは、文句なしでB’zでした。朝ドラ『おむすび』の主題歌「イルミネーション」を事前収録で披露。そこで終わりかと思いきや、映像の中から歩いてきてNHKホールに生B’zが登場する演出に観客が騒然となりました。ミリオンヒット「LOVE PHANTOM」、「ultra soul」で完全に場の空気を支配し、まさに一人勝ち状態でした。
それは、音楽が放つ得体の知れないバカバカしさを真正面からやり切ることです。小ぎれいに、理知的に斜に構えてやるのではなく、堂々と裸の王様のごとく、明るく君臨すること。
たとえば、「LOVE PHANTOM」の仰々しいイントロはどうでしょう。しかも長い長い。80年代洋楽の大ヒット曲、ヨーロッパの「ファイナル・カウントダウン」に通じるメロドラマ感です。このベタベタのタメがあって、<いらない何も捨ててしまおう>という高速歌謡とも呼ぶべきキラーフレーズが切り込んでくる。この緩急の付け方には、わかっていても抗えない快感があります。
そして「ultra soul」は、タイトルの時点で勝ちが決まっています。ウルトラとソウル、どちらも語句のビジュアル、響きが強烈です。それぞれ単独で使うのも慎重になるような言葉ですが、B’zは平気で“混ぜるな危険”をやっている。
さらに、このフレーズに合わせるメロディがとことん土着的なのですね。神輿を担ぐときのソイヤソイヤのような、せり上がってくる日本の民族性みたいなものをこれでもかと刺激してくる。
このあっけらかんとしたくだらなさ、あけっぴろげな鷹揚さこそが、今の日本の音楽シーンに著しく欠けているものなのです。
B’zはダサい?ネット上で論争に
しかし、放送後にネット上でちょっとした議論が巻き起こったのです。それは、B’zはダサいのかダサくないのか。有識者、一般ユーザーから様々な論点が示されましたが、ざっくりいうと、90年代の音楽シーンにおいて、B’zの音楽性はオシャレではなかった、ということです。 小沢健二や小山田圭吾らの渋谷系、マニアックな黒人音楽をベースにしたサブカルチャーに対して、歌謡曲、産業ロック的なハードロックの解釈は、“ダサい”という認識が出来上がっていたのですね。 つまり、B’zは意識高い系の人たちから冷笑される存在だったわけです。 ところが、時は巡り2024年。令和に降臨したB’zは、まさにそのダサさでもって昨今の音楽シーンに欠けている圧倒的な興奮を体現してみせたのだからわからないものです。 では、B’zが体現した濃厚なダサさとは何なのでしょうか?今の日本の音楽シーンに欠けているものとは?
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