父はトップ俳優の岸谷五朗、母は伝説的バンド「プリンセス プリンセス」のボーカル・岸谷香──。
そんな“濃いDNA”を持ちながらも素性を隠し、地道に発信を続けてきた岸谷蘭丸。誰もが羨む道を歩んできたと思いきや、人知れぬ葛藤があったと彼は言う。
病気、不登校、孤独な留学、そして“親ガチャ”の光と影……。
芸能人2世としての告白、反響と戦略

切れ味のある発信力で、スターの両親に引けを取らない存在感を放つ岸谷蘭丸。
現在はイタリアの名門・ボッコーニ大学に在籍しながら、海外大学受験に特化した塾「MMBH留学」を立ち上げ、留学支援活動にも力を注いでいる。
わずか23歳にして「恵まれた環境だからこそ、見える景色がある」と語るそのまなざしには、すでに達観の色がにじむ。そんな彼の目に、今の世界はどう映っているのか──。
──芸能人2世であると明かしたことで、反響はありましたか。
岸谷:叩かれるかなと思ったんですが、意外と好意的なコメントが多くて安心しました。いきなり「2世です」と言って登場したわけじゃなくて、そのずっと前から「柚木蘭丸」として発信し続けていた土台があったからこそ、そういう反応もいただけたんだと思います。
──その辺りは戦略的に考えていたんですか?
岸谷:すでに週刊誌で親については報道されちゃってたんで、自分の口からどのタイミングでどの媒体で公表するかはずっと考えてましたね。あくまで自分のコントロールが利く範囲に露出を抑えたかったから、そういう意味では理想的な案配だったのかなと思います。
──ご両親を見て、芸能活動に興味を持つことはなかった?
岸谷:気づいたら「これは自分の道じゃないな」と思うようになっていましたね。
その分野で親を超えることは無理だし、親からもむしろ「すごいのはお前じゃない。勘違いしたらいけないよ」と言われてたし、親の威を借りるのはみっともないという意識で育てられたんで。
ただ両親の存在が、プレッシャーになることはたくさんありました。僕が何か失敗したら周りは「ほらやっぱり2世なんて甘やかされて育ってるから」と好き勝手言うわけじゃないですか。成功するのは親の力があるから当たり前。失敗すれば喜ばれる。
全然ゆるふわ人生じゃなかったですよ。
難病がもたらした言語力の成長と生存戦略

──SNSでもメディアでもトピックに対して自在に言語化されている印象ですが、昔から?
岸谷:気持ちを表現するのは小さい頃から得意なほうでした。僕、3歳から4歳の頃に若年性リウマチという難病にかかって、入退院を繰り返していた時期に暇すぎて本ばかり読んでいたんです。
そのおかげで言葉を多く吸収できたのかもしれない。母親が本だけは何でも買ってくれて、『はらぺこあおむし』から始まり『人間失格』などの純文学まで浴びるように読みました。
病気で運動もあまりできなかったし、勉強もすごくできるわけではないから、言葉の力を借りて「面白くて賢そうに見える人」というキャラに全振りしてましたね。それが学校生活での生き残り戦略だったというか。
──その特性はどのように発揮できた?
岸谷:困難な状況を伝えて、事態を克服できたことはたびたびありました。
たとえば恥ずかしい話ですが、アメリカの高校に留学中、彼女と別れたショックで学業と日常生活に支障をきたした時期があって。
それで学校主任やカウンセラーに呼び出されたときに、「こういう点を理解してサポートいただければ、また勉強に向き合えると思うのでお願いしたい」と話したことで復帰に繋げられました。
──気後れはなかった?
岸谷:なかったですね。自分を含めて誰かが我慢して成り立つ環境は持続しないと思ってるんで。持続可能な在り方、つまりサステナブルであることを昔からすごく意識していました。