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“マッチョマン”サベージがWWE退団――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第179回

 1991年8月には“殿堂”マディソン・スクウェア・ガーデンのリング上でエリザベスと結婚式を挙げ、翌年の“レッスルマニア8”でリック・フレアーを破り、再びWWE世界王座をその手中に収めた(1992年4月5日=インディアナ州インディアナポリス、フージャー・ドーム)。  WWE世界王座はマッチョマン―フレアー―ブレット・ハート―ヨコヅナ―ホーガン―ヨコヅナ―ブレットと小刻みな移動をくり返したが、チャンピオンベルトをめぐる闘いからフェードアウトしたマッチョマンは、引退宣言をしないまま1993年1月に新番組“マンデーナイト・ロウ”のカラー・コメンテーターに転向。実況のビンス・マクマホン、解説のマッチョマンのコンビが“月曜夜の声”として定着した。  マッチョマンのTVショー(PPV)での最後の“出演シーン”は、1994年の“サマースラム”のオープニングだった(1994年8月29日=イリノイ州シカゴ、ユナイテッド・センター)。  第1試合開始まえにリングコスチュームのようでもあり正装にもみえるゴールドのタキシード姿でリングに登場したマッチョマンは、ビンスとジェリー“ザ・キング”ローラーの新コンビを“最強の実況&解説チーム”として紹介した。  マッチョマンがスピーチらしいスピーチをせずにリングを降りたためライブの観客もPPV視聴者もそれがひじょうに重要な意味を持ったワンシーンであったことに気がつかなかったが、マッチョマンはマッチョマンなりのやり方でWWEのファンに無言の別れのメッセージを送ったのだった。
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WWEとマッチョマンの契約は1994年9月で満了となったが…
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