“マッチョマン”サベージがWWE退団――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第179回
WWEとマッチョマンの契約は1994年9月で満了となったが、両サイドはネゴシエーションのテーブルにつかなかった。マッチョマンは契約更改を希望せず、WWEも契約の延長にそれほど積極的ではなかったとされるが、真相ははっきりしない。ビンスは9月第1週放映分の“マンデーナイト・ロウ”番組内でマッチョマンの退団についてかんたんにふれたが、それはどこか事務的なトーンのアナウンスだった。
ボブ・バックランドをワンポイント・リリーフに起用してブレット・ハートの腰からチャンピオンベルトをひっぺがし、さらにそのバックランドを秒殺してWWE世界王座を手に入れたディーゼル(ケビン・ナッシュ)を“ニュー・ジェネレーション路線”の主役に抜てきしたビンスにとって、キャリアも実績もネームバリューもある42歳のマッチョマンはいつのまにか“取り扱い注意”の在庫アイテムになっていた。
マッチョマンはマッチョマンで自分よりもひと世代若いブレット、ディーゼル、ショーン・マイケルズ、レーザー・ラモン(スコット・ホール)らと本気でメインイベンターの座を争おうとはしなかった。
マッチョマンをライバル団体WCWにひっぱったのはほかでもないホーガンだった。“テレビ王”テッド・ターナー王国からは第2、第3の引き抜きの魔の手が伸びていた――。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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