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死者6人の「バス放火事件」は現代の格差社会でも起こりうる無差別犯罪【大量殺人事件の系譜】

 1942年、福岡県北九州市で生まれた丸山は、1972年に結婚し子どもをもうけた。だが、妻が精神を病んだこと、子どもを施設に預けたことなどから自責の念にかられていた。子どもに毎月送金を欠かさなかったが、住所不定になり各地を転々とするようになる。子どもへの送金もままならなくなっていた。酒量が増え、精神を病んで入院していたこともある。  やがて、感じていた自分の不甲斐なさが、世間への恨みに変換されていった。ねじれた恨みが募っていた事件当日、近くのビルの職員に野宿を注意され、「バカにされた」と思った丸山は、ガソリン4リットルを持ってバスに近づいた。 「バカやろう、なめやがって!」  そう叫び、ガソリンと火のついた新聞紙をバスに投げ入れたのだ。現行犯逮捕された丸山は1986年、東京高裁によって無期懲役が確定、千葉刑務所で服役する。  6人もの尊い命を奪い、その後に苦しんだ人も多い。極刑を望む声も多くあった。しかし、精神鑑定で丸山は次のように指摘された。 <犯行時、被害妄想、追跡妄想があり、飲酒による酔いが加わり、事の理非を判断する能力が著しく低下していた> <生い立ちなどから、被害妄想や幻覚などに支配され、酒を飲んだ結果、妄想の抑制がきかなくなって引き起こした複雑酩酊による行為>  これによって死刑は回避され、無期懲役が言い渡されたのだ。  高度経済成長が安定期に入ったこの時期、それとは対極の暮らしを余儀なくされていた丸山。時代の潮流に乗り切れず、社会の底辺を這うような毎日を送り、次第に追い詰められていった末の事件。  大火傷を負い後遺症に苦しんだ当時30代の杉原美津子さんは、不条理な事件ではあるが、丸山もまた、ある種の被害者だったのではないか、そんな解釈をしていた。丸山と面会し、手紙のやり取りをした。だが、1997年10月、丸山は刑務所内で首を吊って自殺した。杉原さんは、その著書『炎を越えて 新宿西口バス放火事件後三十四年の軌跡』で次のように述べている。 <どんなあやまちも、『償い』が、その過去を責めることから赦すことに替えていきます。赦すことが、被害者を救います。加害者の死は、被害者を捨て去る意味しかありません。被害者にとって、真の『償い』とは、加害者の精いっぱいに生きる姿です>  事件から36年――。世の中は、変わっただろうか。丸山が起こしたような事件は、格差社会が広がる現代でも、引き起こされる可能性がある犯罪ではないだろうか。重い問いを投げかけてくるようである。 <取材・文/青柳雄介>
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炎を越えて 新宿西口バス放火事件後三十四年の軌跡

全身熱傷からの生還――生と死を見つめた魂の手記





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