ストーンコールド“時限爆弾”を抱えたカムバック――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第329回(2000年編)
アメリカじゅうがプロレス・ブームに沸いていた1999年11月、“ストーンコールド”スティーブ・オースチンは首(ケイ椎)の手術のため全米ツアーのスケジュールをキャンセル。月曜夜の連続ドラマ“ロウ・イズ・ウォー”の画面から突然消えた。
ストーンコールドの長期欠場には“交通事故”というフィクションのドラマが用意されていた。
“サバイバー・シリーズ”(1999年11月14日=ミシガン州デトロイト、ジョー・ルイス・アリーナ)の試合開始直前、アリーナ駐車場で何者かが運転する黒塗りのセダンがストーンコールドを“ひき逃げ”して逃走した。
“容疑者”となったのはトリプルHをリーダーとするDX(D-ジェネレーションX)だった。ビンス・マクマホンは、事件の翌日、デトロイトからツアー先のピッツバーグまでやって来た警察の捜査官にDX軍の身柄を引き渡した。
DX軍は、デトロイト市警の取り調べに対し「事件の黒幕はビンスかもしれない」と証言。その後、“ひき逃げ事件”の一部始終が収められたビデオ映像を解析の結果、犯行に使われた自動車のナンバーが事件当日、ザ・ロックが借りていたレンタカーのナンバーと一致した、という事実も判明した……。エトエトラ、エトセトラ。
もちろん、こういうエピソードはすべて“ロウ”の連続ドラマのストーリーラインではあるけれど、一般視聴者がこの“ひき逃げ事件”をホンモノの事件だと信じてしまったとしても、それはそれでひとつのWWEの楽しみ方ということになるのかもしれない。
ストーンコールドが首に故障を抱えたままリングに上がっていたことはまぎれもない事実だった。プロレスというジャンルではときとしてフィクションとノンフィクションがごちゃまぜになる。とくにWWEのようなきわめて完成度の高い映像の世界では、ファンタジーとそうでないものの区別がつかなくなる場合がある。
ふつうは1年近くもテレビの画面から遠ざかっているとその存在を忘れられてしまいそうなものだが、やっぱりストーンコールドは特別な存在だった。
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