ついに実現!ストーンコールドVSビンス――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第309回(1999年編)
“ストーンコールド”スティーブ・オースチンとビンス・マクマホンの因縁の対決が実現したのは1999年2月14日、バレンタイン・デーの夜だった。イベント名は“セント・バレンタインズ・デー・マサカー(聖バレンタイン・デーの大虐殺)”。
テネシー州メンフィスの新アリーナ、ザ・ピラミッドで開催されたPPVは1万9028人の大観衆を動員(興行収益は31万6618ドル、グッズ売り上げは14万3215ドル)し、メンフィスのインドア・スポーツの興行収益記録を塗り替えた。
同大会の目玉カードは、ストーンコールド対ビンスのケージ・マッチ(金網マッチ=エスケープ方式)とマンカインド対ロックのWWE世界ヘビー級選手権“10カウント・ノックアウト・ルール”のダブル・メインイベント。全8試合中、第7試合がタイトルマッチで、大トリがケージ・マッチというレイアウトになっていた。
ストーンコールド対ビンスのケージ・マッチは、試合内容そのものよりも、53歳(当時)のビンスが金網のてっぺんからリングサイドの実況テーブルに向かってまさかの“自殺ダイブ”を敢行した試合として多くのファンの記憶に刻み込まれている。
試合の公式記録タイムは7分52秒だが、両者は選手紹介のコールと同時に入場ランプ前、場外、1階アリーナ席と場所を変えながら大乱闘を展開。いったいいつ試合開始のゴングが鳴ったのかわからない状況のなかで約23分間のケンカ・マッチをくり広げ、金網最上段での壮絶な殴り合いシーンでバランスを崩したビンスが地上4.5メートルの高さからリングサイドの実況テーブルにズドンと落下。そのまま失神した。
レフェリーは試合続行不可能とみなし、この時点でいったん試合をストップ。救急医療チームがかけつけてビンスをストレッチャー(タンカ)に乗せて退場させようとしたが、まだ暴れ足りないストーンコールドはこれを妨害し、車輪つきのストレッチャーを強引にリングサイドまで押していくと、戦意喪失のビンスを無理やりケージ内に引きずりあげた。
リング上では意外なドラマが待っていた。ストーンコールドがビンスに対する“イジメ攻撃”を再開した瞬間、リング下からザ・ジャイアントことポール・ワイト(現在のビッグショー)が出現してストーンコールドのまえに立ちはだかった。“新大巨人”ワイトはビンスがWCWから引き抜いたばかりの新顔だった。
ワイトが人間ばなれした怪力でストーンコールドをチョークスラムの体勢で金網にたたきつけると、その勢いで金網はフレームごと解体し、投げられたストーンコールドはそのまま場外に着地。レフェリーが試合終了のゴングを要請し、ストーンコールドはラッキーというか計算外の“エスケープ勝ち”をスコアした。
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