何気ない会話がシンとの最期の思い出になった
「おぅ!兄弟!どこや?」
「もしもし」などといった社交辞令なんて、文政には存在しない。
「何処て、当番やがな」
「かーっ! ホンマ兄弟は、当番が好きやの。いっつもなんや言うたら事務所いとるがな。どこまでLやねん」
それを言うならMである。
「しぁあないの~。差し入れ持ってたるから、ちょっと待っとったれや」
文政は一方的に告げると電話を切ったのであった。
私は間違ってもMではない。もちろん当番だって好きではない。どちらかと言うと大嫌いである。嫌いであるけれども、ヤクザである以上、仕方なしに当番に入っているのだ。でも文政はそんな事を聞かないし、実際問題どうでもよいのである。
10分後、モニターを監視していたシンが「カシラっ!来られましたっ!」と言いながら、ソファーに座る私に振り返った。モニターに目をやると、白のベンツが玄関前に横付けされていた。相変わらずの好タイムだ。文政であった。
彼は何処にいても10分あれば、駆けつけてくる。
「鍵開けたってくれっ」
私がシンにそう言うと、鉄板入りの扉が解除され、文政が勢いよく姿を現せた。
「兄弟! 相変わらずかっ! たこ焼き買うてきたったどっ!」
その仕草は、まるで本部の幹部のような立ち振る舞いである。
「なんや親分は田舎帰ってはんのか」
間違いない。やはり幹部さんだ。文政はまるでそれが至って当たり前のように、直参専用のソファーに腰を下ろした。シンが、「失礼します」と言いながら、おしぼりとアイスコーヒーを文政の前に添えた。
「おっ! シン、だいぶ板についてきたやないか。たまには兄弟にヤマかえしたれよ!」
シンが「とんでもないです」と言いながら、首をブルブルと左右に振らせた。
「やっぱりここは、落ち着くの~」
冷たいおしぼりで顔を拭い、文政はアイスコーヒーを一気に飲み干した。もしかしたら、幹部さんというよりも執行部の方かもしれない。
ある意味、平和だった。文政はウチの組織の人間ではないけれど、穏やかな時間がゆっくりと流れていた。
そして、当番最終日の3日目が明け、シンにとって人生最後の朝が明けたのであった。
親分が留守という事で、いつもより遅く目覚めた私は、二階から一階に降りていった。当番席に座るシンともう一人の部屋住みのムネが立ち上がった。
「おはようございますっ!」
「おっ、おはようさん」と答え、私はソファーに座り、目の前に綺麗に並べられてある新聞を開いていった。朝刊各紙に目を通し、ヤクザの事件が記されていないかチェックするのも当番責任者の業務であった。
「あの、カシラすいませんっ。もう掃除もすべて終わってますんで、ちょっとだけムネとモーニングでも行ってきたらあきませんでしょうか?」
本来、部屋住みは事務所の用事以外、外へ出る事は禁じられていた。タバコ一本吸うにしても、私用の電話を一本入れるにしても、洗濯物を屋上へと干しに行く際に、隠れて済まさなければならないほどだ。
だが今は、親分が不在中である。
「かまへんど。掃除のチェックも後で適当にやっとくから、息抜きでもしてこいや」
と言って二人を送り出した。
本部には他にも部屋住みはいたのだが、シンとムネは仲が良かった。時折ケンカもしているようだが、気になるようなものではない。どこにでもあるようなじゃれ合いに過ぎなかった。昼前には、二人とも本部へと帰ってきており、二階に上がり風呂掃除を始めていた。二人の様子に変わったことなどまったくなかった。
「カシラ、今日も店かいな~」
昼前に交替のナベさんが姿を見せた。私は当時、本部の直参からも枝の肩書きで呼ばれていた。
「そうですわ」
と答えながら、引き継ぎ事項をナベさんに幾つか伝え、帰り支度をし始めたのだった。
「親分がおられへんから、のんびりさせてもらうわ~」
引き継ぎが終わると、ナベさんはのんびりとした声を出した。私は帰り支度を終えると、二階で風呂掃除をしているシンたちに階段から声をかけた。
「シン帰るわのっ!」
慌ててシンが降りてきて、私を見送りに出てきた。
「シン、タバコでも買えや」
と言いながら、私はシンに二千円を握らせた。同じように見送りに出てきてくれたナベさんがシンに「良かったやんけ~、シン」と笑顔を作った。
「はいっ!有難う御座いますっ!カシラご苦労様でしたっ!」
私は手を上げ本部を後にしたのだった。これがシンとの最期の別れになろうとは、このとき夢にも思っていなかった。