優柔不断が仇となる? 任侠界に噴出する「神戸山口組組長失望論」の深層
8月末で2年が経過しようとしている、山口組の分裂劇。ここにきて情勢は大きく変わりつつある。当初、勢いよく喧伝されていた神戸山口組だったが、トーンダウンぶりを象徴するかのような人事があった。神戸山口組の”金庫番”と目された池田孝志組長が舎弟頭を降りたのだ。
この問題を取材し続ける実話誌記者が語る。
「舎弟頭とは、若頭・本部長と合わせて“三役”と呼ばれる重要なポスト。池田組長本人から神戸の執行部に対して『堅気になりたい』と申し入れがあったようです。神戸からすれば、今ここで降りられては士気に関わる大問題。すぐさま幹部が説得にあたり、最高顧問として組織に残ることになった。ただしその際、池田組長は“織田とは付き合いをする”と条件を付けたといいます。神戸を割って出た、任侠山口組代表の織田氏です。本来、絶縁者と関りを持つことはご法度ですが、池田組長と織田氏との間にはカネの問題がある。よって、神戸山口組も目をつぶらざるを得なかったそうです」
そもそも、2年前に山口組が分裂する際、直前に開かれた“謀反組”の決起集会で怪気炎を上げたのが、井上邦雄・神戸山口組組長と織田絆誠代表だった。当時の状況について、六代目山口組の二次団体幹部・X氏が明かす。
「皆がいる前で井上組長の横に立った織田は『喧嘩はワシがします。オジさんたちはただついてきてくれたらエエです』と啖呵を切った。この大演説に後押しされ、『資金面は池田組がみるから、喧嘩は山健組で。政治外交は寺岡若頭、正木総本部長が広報戦略』という役割分担になったそうです。しかしその後、池田組はナンバー2を殺害されましたが、抗争を担当するはずだった山健組の威勢はピタリと止まりました。それどころか、井上組長は腹心として大抜擢した織田に裏切られ、組を割られて……『これじゃ、話が違う』と池田組長が愛想を尽かすのも無理はない」
井上邦雄・神戸山口組組長といえば、五代目山口組組長の出身母体である健竜会からのし上がり、山健組の当代となった。いわばヤクザのエリートコースのど真ん中を歩んできたとされる人物だ。
だが、ここへ来て求心力の低下は否めない。「その予兆は分裂する前からあった。性格が優柔不断すぎる」と語るのは、六代目山口組の古参幹部だ。
「2008年に、山口組で直参の大量処分者を出す大騒動があった。当時の大幹部だった後藤忠政組長が高山清司若頭の逆鱗に触れ、進退問題に発展。すると、これに抗議した直参組長が連判状をしたためた。この時、一番最初に名前が入っていた井上邦雄は『やっぱりアカンことになる。ワシの名前を消しといてくれんか』と、連判状作成の座長役となっていた直参組長に懇願し、途中で降りた。高山若頭の怖さを誰よりも熟知しているのが、井上という男なんです。この一件で後藤組長と連座して処分された直参は何人もいますが、その中で神戸山口組に加勢したのは1人だけ。他のメンバーは『あんとき動かんかったもんが、何を今さら』と醒めた目で見ている。要するに、井上は正面から高山若頭と喧嘩できるような人間ではないんです」
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