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極道出身の作家が明かす地元・尼崎でのヤクザ人生16年「苦しいことの連続だった」

沖田臥竜氏 山口組系組織から作家に転身。以降、精力的に執筆活動を続けてきた沖田臥竜氏は活躍の場を広げ、暴力団関連のニュース記事でその名を目にする機会も増えてきた。そんな沖田氏の兄弟分である“生野が生んだスーパースター・文政”を題材にした単行本は`16年秋に出版されたが、そのスピンオフ作品と位置づけられる著書『尼崎の一番星たち』をこの度、上梓。尼崎という関西でも特有のクセを持つ街と、そこで暮らす破天荒な男たちの生きざまを描いている。著者が生まれ育ち、ヤクザとして過ごした尼崎について、1時間にわたり話を聞いた。 ――「尼崎」というと、正直ちょっと怖いというイメージを持ってしまいます。最近では山口組から再分裂した任侠団体山口組も本部を構えていますし……実際、どうなんでしょうか? 沖田:そら昔はね、すごかったですよ。阪神尼崎駅に有名な飲み屋街があるのですが、普通にヤクザが肩で風切って歩いていたし、柄が悪いと評判の団地に友人が自転車を盗みにいったら、住人が上から包丁を落としてきたなんてこともあった。平成元年くらいの話ですね。それが阪神大震災が起きて、復興で綺麗になって、昔みたいなクセはだいぶ弱まってきてますよ。山口組関連でいえば、一時は阪神尼崎の繁華街を神戸山口組系の組員らが巡回しているという話もありましたが、今ではヤクザより警察官のほうが多い。治安が特別悪いとは思いません。  私は尼崎で16年間、ヤクザとして生きてきましたが、本音を言えば「愛着はあるけど好きではない」となる。自分らはバブルと無関係な世代でそのおこぼれも受けていないし、尼崎という場所的にも、ヤクザとして生きていくにはビジネスとしてのマーケットが小さい環境でしたから、実際、経済的にはキツかった。同じ阪神ブロックの二次団体に属するヤクザでも、猫組長みたく東京進出してたわけじゃないし、経済に長けているわけでもない。苦しい思い出しかないですね。だからこそ、「愛着はあるけど、好きではない」という感覚になるというか……。 ――そんな尼崎でのヤクザ人生で出会った男たちを、本作では描いています。冒頭、組事務所で起きた殺人事件現場に駆け付けるエピソードで幕を開けますが、衝撃的でした。 沖田:私が駆け付けた時は、壁に血が飛び散って刺された人間は横になっていて、一目でもうダメだとわかる状態で。殺めたのは新入り時代に私が教育係として預かった若い子だったんです。私も参考人として警察署に引っ張られ、ニュースでも報道されてしまった。みんな動揺もあって、山口組総本部への報告が遅れてしまったのですが、この時、阪神ブロック長だった井上邦雄親分(現・神戸山口組組長)は「本家に対して、ウチには連絡入れたってことにしとけ」と当時のウチの上司らをかばっていただきました。ウチの親分とは同じ安原会系として、気心知れた間柄だったからだと思います。 ――「尼崎の一番星」では様々な癖の強い男たちが登場します。その象徴が沖田さんの親分、という印象を受けました。 沖田:私が仕えた親分という人は、日課のように篠原の総本部に出向き、実直な性格もあって直参の方々の間でも信頼があるお人柄だったと思います。人の悪口を言わないし、信用があった。だから、尼崎地域で誰よりも力を持たれていました。  ヤクザとしてどうこういうより、「人として」どうあるかに厳しい人でした。お墓まいりの作法や日常の掃除、故人への思いといったものを全て私は親分から学ばせて頂きました。それだけでなく食事などをご一緒させていただく際は、会計などを先に済ますということを絶対にさせない。厳しいけれど、愛情をもって接してくれるのが伝わってくる方でした。  私に子供が生まれたとき、お食い初めやお宮参りの紐銭といった当たり前のことを、欠如している私なんかに教えてくれ、当時、私は二次団体の直参だったのですが、30人くらいの同僚たちが名前書いて、ご祝儀くれて。
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引退を告げた際、母と妻が投げかけた言葉とは?
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尼崎の一番星たち

濃密すぎる「泣き笑い」そして「生」と「死」。元山口組二次団体最高幹部、極道作家が描くリアルアウトロー小説。

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