Kawasakiの名車GPZ900RがNinjaと呼ばれるようになった理由
1984年、Kawasakiを代表する名車が誕生した。その名はGPZ900R。Ninja(ニンジャ)の愛称で親しまれ、この名を冠する多彩なモデルが登場。やがて同社の設計思想を体現するマシンへと成長した。本稿はその軌跡をたどる。
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●古橋賢一氏……川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニー企画本部渉外部部長。特に印象に残っているNinjaは、「ZX-12R」
「Z1の誕生から約10年。技術が進歩し、スピードを巡る戦いはさらに激しくなっていました。再び世界一を目指したのが、GPZ900Rのプロジェクトです」
だが、環境問題の観点から排ガス規制が強化され、クリーンさをより考慮しなければならなかった。
「GPZ900Rは当初、空冷6気筒エンジンで開発が進んでいましたが、環境と性能を両立するために、4バルブでいくことになったそうです。試行錯誤を繰り返し、弊社初の水冷4気筒DOHC4エンジンが完成しました」
空冷と水冷を比較すると、水冷のほうが安定性や性能面で優れていたが、構造が複雑になるぶん、エンジンが重くなるのがネックだった。それを解決すべく、当時の最新技術をフル投入し、エンジンのコンパクト化に成功。世界最速を誇る、最強のマシンGPZ900Rが生み出された。
「当時の最高速度は、220km/hでしたが、GPZ900Rは250km/hを超えていました。社内でもかなりセンセーショナルだったと、先輩方に聞いています」
Z1の北米市場での成功が、Kawasakiの地位を強固なものにした。GPZ900RもZ1に続けと、北米に各国のプレスを招待し、大々的な発表会を企画したが、直前になってある問題が起きてしまう。それは、GPZ900Rの愛称に関するものだった。
1986年に公開されたトム・クルーズ主演の映画『トップガン』で、彼の愛車としてGPZ900Rが登場し、一般にも認知されるようになったNinja。80年代に青春を謳歌した諸兄の多くが、「Kawasakiのオートバイ=Ninja」と連想するはずだ。
ご存じのとおり、川崎重工はオートバイだけではなく、船舶や鉄道車両、航空機など、さまざまな製品を手掛けている。その歴史は古く、明治時代に設立された後、日本だけでなく世界の産業を支えてきた。オートバイ事業は、その長い歴史の中で戦後に誕生し、今日までに大きく発展している。
「戦後は、占領下で日本の航空機産業が禁止され、弊社はオートバイのエンジンの製造を始めました。その後、オートバイ自体を製造するようになるのですが、当時は航空機をつくりたくて入社した人間が多く、どうせつくるなら世界最高のマシンをつくろうという意識が強かったのだと思います」とは、川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニーの古橋賢一氏。世界最高を追求した結果、1972年に誕生したのが、4気筒DOHCエンジン(900cm3)を搭載した「Z1」。当時、レース車にしか使われていなかったエンジンを採用し、出力や最高速度、加速性能で量産車世界一を記録した。
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