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Kawasakiの名車GPZ900RがNinjaと呼ばれるようになった理由

Ninjaという愛称の意外な誕生秘話

「北米では忍者ブームが巻き起こり、和製スーパーマンともてはやされていました。それで現地の販売会社に、Ninjaの名で売りたいと提案されました」と教えてくれたのは、同社の山崎修司氏。 「日本の本部は大反対でした。すでにGPZ900Rという名前を決めていましたし、日本人の持つ『忍び』のイメージと合わないと。相当話し合ったそうですが、相手が頑として折れず、北米だけはNinjaで売り出すことになりました。そのように決まったのは本当にギリギリのタイミングで、プレス向けの資料は、GPZ900Rの表記の上にNinjaのステッカーを貼って、配布したそうです」(山崎氏) ●山崎修司氏……同社企画本部事業企画統括室マーケティング部基幹職。印象的なNinjaは、「Ninja250」と初代Ninjaの「GPZ900R」  販売会社の期待通り、Ninjaの名は北米だけでなく、世界中のファンに受け入れられた。 「今後、北米ではNinjaの名で販売していくという方針ははっきりしていましたが、正式なモデル名として、他の市場で採用されるのには時間がかかりました。Ninjaで初めて世界展開を行ったのは、1993年ごろだったと記憶しています。GPZ900Rの登場から約10年かかりました」

Ninjaを通して走る悦びと興奮を

 世界中にNinjaの名をさらに浸透させたのが、2008年生まれの「Ninja250R」だ。山崎氏は「このモデルの登場により、ブランドの裾野がさらに広がりました」と自信をのぞかせる。
Ninja 250

Ninja 250Rは、2008年に販売がスタートした250cm³のオートバイ。2013年にフルモデルチェンジにより名前が変更されたNinja 250、2014年に新規開発の単気筒モデルのNinja 250SLが登場

「250cm3のクラスは、先進国ではエントリーモデル、新興国ではプレミアムモデルという位置づけです。Ninja250Rも新興国を中心にヒットするだろうと期待していましたが、先進国でも広く支持され、これまでのエントリーモデルの概念を変えました」  その人気の秘密は、初心者向けのモデルでありながら、熟練者が乗っても走る楽しみを体感できるスペックを備えていたこと。デザインが優れており、上級モデルと較べても遜色なかったことなどが挙げられる。タイ工場で生産し、50万円を切る販売価格を実現したのも追い風となった。  Kawasakiは、「Fun to Ride」(走る悦び、操る楽しさ)、「Ease of Riding」(乗りやすさ)、「高度な環境技術」を商品開発の基本理念として、独自のオートバイを作り続けてきた。当時の世界最高を目指したZ1やGPZ900R。初心者から熟練者まで多くのライダーを魅了したNinja250R。方向性は異なるものの、走りへの強いこだわり、「RIDEOLOGY」(ライディオロジー。走り=RIDEとこだわり=IDEOLOGYからなる造語)は変わらない。この設計思想を体現した新たなフラグシップモデルのNinjaが、生誕30周年の節目(2014年)に披露された。それがサーキット専用車の「Ninja H2R」だ。
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川崎重工業グループが一致団結した成果
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