武藤敬司の“自分をつくっていく”という発想――フミ斎藤のプロレス読本#003【プロローグ編3】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199X年
いきなり“文学的表現”なんていってもちょっとわかりにくいかもしれない。どんなことをどこまでしゃべったらいいのか、その加減がわからないからインタビューは嫌いだといっていた武藤敬司がポロッと――もちろん本人はそんなことを意識せずに――文学的表現を使ったので、ぼくはハッとさせられた。
WCWでグレート・ムタに変身してスティングとさかんに闘っていたころのエピソードを話してもらったときのことだ。武藤はこんな感じでぼそぼそとしゃべった。
「オレがWCWに入ったときはね、スティングはすでにスターだったんですよ。こっちはグレート・ムタってものをこれからつくっていかなくちゃならないときだったんで、彼とオレのあいだには大きな開きがありましたよ」
自分を“つくっていく”なんてフレーズをプロレスラーの口から聞かされたのはそのとき初めてだったので、ぼくはすっかり呆気にとられ、そのセンテンスだけが妙に耳に残った。
武藤はコトバでプロレスファンを説明、解説するたぐいのレスラーではない。どちらかといえば、学校の成績でいえば体育だけが“5”でほかの学科はいまイチというタイプだろう。
武藤が口にした“つくる”は、もちろん“作る”ではなくて“創る”だ。大げさにいえば、自分のあり方、自分のキャラクター、自分が表現したいものをいかにクリエイトしていくかということである。
プロレスラーは頭のなかに描いている自分のイメージ(とその動き)をリングの上で実験・実践してみることのできる人たちだ。時間とエナジーをかけて、いまいる自分を少しずつそのイメージに近づけ、やがてそれを現実にしていくこと。こうありたいという自己を創ることができる。こんなすごいことを武藤はふだん着の感覚でとらえていた。
武藤がムタというもうひとりの自分に変身してアメリカのWCWを長期ツアーした1989年から1990年にかけて、ムタとスティングはシングルマッチ、タッグマッチを合わせると軽く100回以上は試合をした間柄だった。旧NWA・TV王座をめぐる闘いではほとんど毎日のように対戦していた時期もあった。
ムタはスティングと試合をすることでヒールとしての立ち居振る舞いを皮膚感覚的に会得し、スティングはスティングでムタと闘いながら、よりベビーフェース的な呼吸に磨きをかけていった。
顔にペインティングを施したふたりのレスラーは、闘いつづけることでおたがいにおたがいのグレードを高めていった。
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