戦国時代の“脇役”宇喜多秀家が再評価される理由
関ヶ原の戦いで29歳の若さながら西軍の副大将をつとめ、最前線で奮戦した「備前中納言」宇喜多秀家。敗戦後は八丈島に流罪となり、84歳まで生きた。
石田三成や小西行長など西軍諸将が処刑されていく中で、“最大級の戦犯”であるはずの秀家は「なぜ」殺されなかったのか!?
SPA!の記者が関ヶ原後の秀家の足どりをたどり、全国各地で400年間語り継がれてきた逸話をリポート。その「なぜ」の裏には、奇跡的な“命のリレー”の物語が潜んでいた!!
岡山城をつくった戦国大名・宇喜多秀家と妻の豪姫役に選ばれた男女を先頭に、武者行列が入城していく。
岡山市で毎年行われる「秋の桃太郎祭り」(10月7~9日)の一貫として10月8日、「宇喜多秀家☆フェス」が岡山城天守閣前広場を中心に行われた。今年で9回目となり、年々来場者が増えているという。
宇喜多秀家といえば、岡山57万石の太守で五大老の一人とはいえ、関ケ原で西軍に属した石田三成、大谷吉継、島津義弘などと比べて知名度はかなり低い。歴史小説やドラマなどでも非常にマイナーな存在だ。今年公開された、岡田准一さんが石田三成役で主演をつとめる映画『関ケ原』でも、宇喜多秀家はほんの一瞬しか登場しない。
ところがここ最近、その宇喜多秀家に注目が集まっているのだという。岡山市で観光ボランティアガイドをつとめる木梨厚忠さんはこう語る。
「最近では『関ケ原の戦いは、当時の人々は徳川対石田ではなく、徳川対宇喜多と認識していたのではないか』と主張する歴史研究者も出てきています。特に岡山市では、岡山城をつくった秀家についての再評価がさかんに進められています。現在の岡山市街地は、秀家の時代に整備されたものが基礎になっているんです」
岡山城内の資料館も、今年から宇喜多氏関連の展示が新たに追加された。これまでは江戸時代に岡山を治めていた池田家のものが中心だったが、岡山市では宇喜多氏に関する展示を今後も充実させていく方針だという。
“脇役”だった宇喜多秀家が注目を集める
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