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28年続いた屋台『丸源ラーメン』最後の日「本当に良いお客に恵まれた」

「28年か、やり切ったな」そう噛みしめるように呟いたのは、東京駅八重洲北口近くの屋台『丸源ラーメン』の店主・田中幸男さん(68歳)だ。27歳で脱サラして起業するも、負ったのは約4000万円もの借金。その返済のために始めた屋台だが、四半世紀超に渡って愛される店になった。しかし、規制の息苦しさと体力の限界から’17年いっぱいでの引退を決意。SPA!取材班は田中さんの最後の雄姿を見届けに訪れた。  20時半頃にわれわれが到着すると、田中さんの最後の一杯を味わおうと、常連客が行列をなしていた。田中さんとは23年の付き合いになるという深田さんもそのひとり。 「八重洲ブックセンターに英語の本を買いに来たのがきっかけ。ラーメンを注文したら『まずは、酒を飲むんだよ』と怒られたんですよ。面食らったけど、その理由が『酒はまずい。まずい酒を美味いラーメンで流し込むんだよ』ってね。妙に納得してしまってそれで通うようになったんです」  長い付き合いの中で田中さんとは何度もケンカになったことも。 「私もレストランを経営してたことがあったんで、舌には自信があったんですよ。それであるとき、味がいつもと違うなと思って指摘したら、『うるせえ、二度と来んな』なんて言われて。実際、製麺所が潰れて、本当に麺を変えざるえなかったんだけどね。それでも23年の付き合い。彼の息子が小学校の頃に勉強を教えたのは私ですよ」  10年超の常連の加藤さんも閉店を惜しむ。 「東京の一等地の、高層ビルに挟まれた路地から星空を見ながらお酒とラーメンを食す。この解放感と優越感ときたら堪らなかった。マスター(田中さん)には仕事の相談なんかにも乗ってもらったこともあって、思い出は語り尽くせないですよ」  加藤さん同様10年以上通い続けた堀江さんは「私は昨日も食べたから、今日はほかの常連さんに譲る」と、自らはラーメンを我慢しながらも、閉店を見届けに来た。 「12年前、仕事からの帰宅途中に立ち寄ったのが田中さんとの出会いのきっかけ。私の転職、誕生日、クリスマスなんかもこのお店でお祝いさせてもらいましたし、多いときは週3回のペースで通ってきました。田中さんは頑固親父で、自分にも他人にも厳しい人柄だから、私も時間にルーズな性格を何度も戒められました。でも、その目は『おれは味方だから』と語っているようで、いつもあたたかったですね。ああ、私の居場所なくなっちゃうんだな」  いつもの営業時間は深夜2時頃までだったが、この日は24時に完売。田中さんは28年間をこう懐古する。 「本当に良いお客に恵まれたよ。八重洲はエリートビジネスマンから外国人観光客までいろんな人が来るからね。経済、金融、国際情勢など、色々なことを勉強させてもらった。僕も学んだことをお客に還元したし、腹を割って語り合ってきた。屋台は現代の寺子屋であり、損得勘定のない人付き合いができる場所だよ。今、『丸源ラーメンの味を継ぎたい』と声をかけてくれている人が何人かいる。先のことはわからないけど、自分がこのラーメンに救われたように、どこかで誰かの人生に貢献できたら嬉しいよな」  29歳年下妻のマリアさんは、日中はホテルで働き夜は店の手伝いを続けてきた。 「皆さんのおかげです。旦那も本当によく頑張りました。ゆっくり休んでほしいから温泉に連れて行ってほしい」  田中さんはしばらく休暇を取った後、再就職先を探す予定だという。 「就職活動なんて40年以上やっていない。けど経営経験もあるし、英語も話せるから、どこかかしら拾ってくれるでしょう」  周辺をきれいに掃除し、最後まで笑顔でわれわれに手を振った田中さん。28年間灯り続けた赤提灯は、在るはずの場所にはもうない。しかし田中さんが灯した火は、これからも常連客の心をあたため続けるにちがいない。 屋台『丸源ラーメン』最後の日 <取材・文/キンゾー 撮影/難波雄史>
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