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深夜3時から営業…今はなき伝説の屋台「由紀子」女将の豪快人生

かつて日本においてその存在はごく一般的であった屋台。夜ごとリヤカーを引くその形態は庶民に親しまれ、チャルメラの音に懐かしさを感じる人も多い。しかし、この数十年で激減した東京の屋台は今や絶滅の危機に瀕し、数を正確に知る者もいないという。迫る’20年の東京五輪に向けて、屋台文化消滅の危機感を抱いたSPA!取材班は、現存する屋台の声を聞くべく、夜の東京を駆けた――。

東京から消えゆく屋台

屋台 SPA!取材班は寄せられた目撃情報を基に東京各地で屋台を探したが、消息を絶ってしまっている店も多く、取材は難航した。上野駅の不忍口方面にあったという屋台は4日間通うも見つからず。周辺への聞き込みで「3か月ほど前に警察の指導を受けてから見てないね。苦情が入ったみたい」との情報。  他にも新宿、東中野、立川なども空振り。九段下も、近隣にリヤカーが保管されているのは見かけたが、営業中には出会えなかった。  屋台用器材を扱う「藤田道具」の藤田雅博社長に話を聞いたところ、「おでんやラーメン屋台用器材の売り上げは10年前からゼロ。リヤカーに至ってはもう作れる職人自体がいません」とのこと。絶対数がそれほどまでに減っている。  屋台、立ち飲み屋事情に精通する編集者の小西康隆氏も、屋台を巡る現状を悲しむ一人。今はもうない、恵比寿のとある伝説的屋台について語ってくれた。 「’90年代にあった屋台で印象深いのが、当時恵比寿駅東口にあった『由紀子』ですね。営業開始は深夜3時からで、客は僕らの他には、水商売してる人やミュージシャンが多かったかな。おでんの屋台かと思ったら、くじらのステーキやキーマカレーもあってなんでもアリ。朝7時ごろに出社するサラリーマンを横目に飲んでました。何より女将のおゆきの人柄がおもしろかった。近くの公衆電話の番号を勝手に自分の店の番号として客に教えて、実際に鳴ると『はい、由紀子です』って出ちゃう(笑)」
由紀子

恵比寿駅東口付近にあった屋台『由紀子』看板女将のおゆきさん(写真提供・豊里友行)

 しかし、おゆきさんは築地への仕入れ途中に交通事故でこの世を去った。’99年1月のことだ。 「駅前の再開発が決まったタイミングだったし、屋台なのに周辺の店なんかより我が物顔でやってたから『消されたのでは』なんて噂まで立った。そのくらい豪胆な人生を歩んだ人でしたね」  以降、思い出深い屋台もどんどんなくなっていったという。 「目黒の駅前ビル『サンフェリスタ目黒』の入り口に並んでいた屋台も’20年の東京五輪が決定した後、指導が入って撤退。丸の内にあった屋台も見たのは4年前が最後かな。営業許可の審査が厳しすぎて通らないから、権利が売買されるなんていう話も聞きますね」  果たして、東京の屋台はどこへ向かっていくのだろうか。 【小西康隆氏】 文筆家、編集者。下町居酒屋文化に精通し、東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介したブログ「東京自由人日記」が好評 http://cafegent.exblog.jp ― 消えゆく[東京の屋台]の今 ―
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