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マッドドッグ・バション “狂犬”は元オリンピック選手――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第20話>

マッドドッグ・バション “狂犬”は元オリンピック選手<第20話>

連載コラム『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』第20話は「マッドドッグ・バション “狂犬”は元オリンピック選手」の巻(イラストレーション=梶山Kazzy義博)

 元オリンピック代表選手からプロレスに転向し、“狂犬Mad Dog”をリングネームに大ヒールとして一世を風びした。

 公式プロフィル上の身長は5フィート7インチ(約169センチ)となっていたが、じっさいはもっと低かった。

 カナダ代表としてロンドン・オリンピック(1948年)に出場し、フリースタイル176ポンド級で第7位の成績を収め、1951年にプロレス入り。

 デビュー当時は本名のモーリス・バションのままリングに上がっていたがいまひとつパッとせず、頭をツルツルに剃り上げ、あごヒゲgoateeをたくわえ、凶暴なヒールに転向した。

 “マッドドッグ”のキャラクターを考案したのはオレゴンの大プロモーター、ドン・オーエンDon Owenだった。

 バションは、アマチュア・レスリングの香りを完ぺきに消し去ることで成功をおさめたプロレスラーとだった。

 パンチ、ストンピング、噛みつき、クロー攻撃、かきむしりといった単純な動きだけで試合を組み立てて、最後はパイルドライバー一発でフォールを奪うというひじょうにシンプルでわかりやすいスタイルを完成させた。

 オリンピックの同期だったバーン・ガニアの宿命のライバルで、AWA世界ヘビー級王座を通算5回保持。ガニア対バションの定番カードが1960年代のAWAスタイルの基本形となった。

 タイトルマッチの連戦シリーズでは、ベビーフェースのガニアが先に反則攻撃を仕掛け、ヒールのバションがガニアとレスリングで互角の勝負を展開するという応用編も生まれた。“ガニア帝国”AWAでは、ヒールにもレスリングのテクニックが要求された。

 1960年代後半から1970年代前半は、バションは実弟“ブッチャー”ポール・バションとのバション・ブラザースとして活躍し、ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーとのAWA世界タッグ王座をめぐる闘いがミネアポリス、シカゴ、ミルウォーキー、オハマ、デンバーといったAWAエリアでドル箱カードとなった。

 1979年にはガニアとの熟年コンビでレイ・スティーブンス&パット・パターソンを下しAWA世界タッグ王座を奪取。

 売り出し中だった若手ヒール・コンビ、ジェシー・ベンチュラ&アドリアン・アドニスのイースト・ウエスト・コネクションと6カ月間にわたる因縁ドラマを演じ、1980年代前半にはシングル部門でも超巨漢の“クラッシャー”ジェリー・ブラックウェルとデスマッチ・シリーズを展開した。

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衰えを知らない“狂犬ファイト”

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