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ジョニー・バレンタイン “妖鬼”の毒針殺法――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第19話>

ジョニー・バレンタイン “妖鬼”の毒針殺法――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第19話>

連載コラム『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』第19話は「ジョニー・バレンタイン “妖鬼”の毒針殺法」の巻(イラストレーション=梶山Kazzy義博)

 バディ・ロジャースの宿命のライバルであり、無名時代のリック・フレアーの指導者であり、アントニオ猪木を一夜にしてスーパースターに変身させた男である。

 トランス状態を思わせるガラスのようなブルーの瞳blank stareと“毒針殺法”と恐れられたエルボー攻撃がトレードマークで、日本では“妖鬼”なるニックネームがつけられた。

 ジョニー・バレンタインは、ロープに飛ばないレスラーだった。対戦相手がバレンタインをロープに振ることは絶対に許さず、みずからも対戦相手をロープに振ることはしなかった。

 バレンタインにとって、ロープワークはリアリティーのないムダな動きでしかなかった。

 レスリングのテクニックを売りものにしたレスラーではなく、ただひたすらパンチとエルボーを相手の脳天、胸、腰に打ち込むというスタイルだった。ルー・テーズはバレンタインを“タフガイ”と形容した。

 19歳でデビューし、47歳で引退するまでアメリカとカナダのほとんどのテリトリーをサーキットした。同時代を生きたスーパースター、バディ・ロジャースとはあるときは闘い、またあるときはタッグを組むという関係だった。

 テーズからジャック・ブリスコまで歴代のNWA世界ヘビー級王座に挑戦し、フリッツ・フォン・エリック、ディック・ザ・ブルーザーらとも因縁ドラマのロングランを演じた。

 バレンタインは必ずヒールとして新しいテリトリーに登場し、その地区の主役とタイトルマッチをおこない、最後はベビーフェースとして去っていくというタイプのレスラーだった。

 マイク・アピールはいっさいせず、試合だけでその強烈なキャラクターを観客に訴えかけた。

 初来日は1966(昭和41年)。新団体・東京プロレスの旗揚げシリーズに参加し、来日第1戦で猪木と対戦(同10月21日=東京・蔵前国技館)。

 “世界の強豪”バレンタインを場外カウントアウトで下したキャリア6年、23歳の猪木は一夜にしてスーパースターの仲間入りを果たした。

 シリーズ終盤戦、大阪球場でおこなわれたUSヘビー級選手権では、猪木がバレンタインを下して王座奪取に成功(同11月19日)。バレンタインはチャンピオンベルトを日本に置いていった。

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バレンタインが日本に持ち込んだもの

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