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マッドドッグ・バション “狂犬”は元オリンピック選手――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第20話>

 よほど節制がよかったのだろう。50代になってもバションの“狂犬ファイト”は衰えを知らなかった。  バションは現役時代、計6回来日し、国際プロレスの常連として活躍。“ロシアの怪豪”イワン・コロフとの実力派コンビでストロング小林&グレート草津を下しIWA世界タッグ王座を獲得(1973年=昭和48年4月18日、茨城・土浦スポーツセンター)。  マイティ井上を下しIWA世界ヘビー級王座を奪取し(1975年=昭和50年4月10日=後楽園ホール)、ラッシャー木村との金網マッチに敗れ王座から転落(同4月19日=札幌)。国際プロレスの事実上のエース交代劇にもかかわった。  1977年(昭和52年)には『第6回IWAワールド・シリーズ』に参加し、“イス男”ジプシー・ジョーと国際プロレスのトップ外国人対決を実現させたほか、R・木村と同リーグ戦決勝戦を争った。  1986年、57歳でホームタウンのモントリオールで引退試合をおこなったが、翌1987年にジョギング中に交通事故にあい、左足のヒザから下を切断するという痛ましいアクシデントに見舞われた。  それでもその後もときおり試合会場に元気な姿をみせ、WWFのPPV“イン・ユア・ハウス”(1996年4月28日=ネブラスカ州オマハ)ではディーゼル(ケビン・ナッシュ)がリングサイド席に座っていたバションから義足を強奪し、それを凶器として使用するというワンシーンがあった。  2010年のWWE“ホール・オブ・フェーム”で殿堂入り。「44年間、1万3000試合を闘いました」というスピーチで現役組のWWEスーパースターズからスタンディング・オベーションの大喝采を浴びた。 ●PROFILE:マッドドッグ・バションMad Dog Vachon 1929年9月14日、カナダ・ケベック州モントリオール出身。13人兄弟という大家族で育ち、弟ポール、妹ビビアンもプロレスラー。AWA世界ヘビー級王座を通算5回保持。AWA世界タッグ王座も通算2回保持。1984年にはハルク・ホーガンの誘いでWWEのリングにも上がった。1986年、引退。2013年11月21日、オマハの自宅で死去。84歳だった。 ※文中敬称略 ※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦
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