更新日:2018年07月19日 22:05
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硫黄島ではどのように遺骨収集が行われているのか? 遺族と共にヘリコプターで…

慰霊碑には米兵のネックレス

 遺族は資料などを照らし合わせることで、亡くなった地域を大体ではあるが把握することができる。遺品が一緒に出てくることで特定できることもあるが、それがない場合、骨を見ても誰のものなのかは当然分からない。何度も訪れているという理由もあるだろうが、遺族はあくまで団体の任務として黙々と作業を行っていたそうだ。 遺骨収集
遺骨収集

硫黄島以外にも遺骨収集に訪れた

「作業のない日は摺鉢山をはじめ、島の中にある慰霊碑を周りました。そのときばかりはご遺族の方も思い詰めるような表情をしていました。ご遺族の方の多くは、戦地に行った方のお子さん。父が亡くなったであろう方角をずっと見つめていました」  慰霊碑には米兵の認識番号が刻まれたドッグタグと呼ばれるネックレスがかかっていることが多い。硫黄島の戦いは5日間で陥落すると見られていたが、日本兵は島を1か月以上も守り抜いたことから、当時の日本兵の戦いは、現代の米兵からもリスペクトされているそうだ。米兵にとって硫黄島を訪れることは1つのステータスになっており、その証として自らのネックレスを慰霊碑に置いていく。美談と言ってしまうこともできるだろうが、その光景を見た遺族はどのように思うのだろうか。

遺骨の周りでは心霊現象も

 佐々木さんに遺骨収集時の写真を見せてもらった。ある地域には当時使われていた日本軍の戦車や墜落した戦闘機がそのまま残っている。機体は70年以上の歳月を経て草と同化し、大量の兵士を殺したとは思えない静まり返った印象がある。また、ある地域で収集された日本兵の頭がい骨のなかには横方向に真っ二つに切られたものまであった。海外メディアでは、日本兵も外国人捕虜に対して虐待や人体実験のようなことをしていたと伝えられているが、佐々木さんの写真もまた事実である。 硫黄島 これほど悲惨な戦場では心霊現象も絶えなかったそうだ。 「私自身は何もなかったのですが、人によってはドアをコンコンとノックする音が聞こえるなど、ほかにも心霊現象はあったようです。でも皆口を揃えて言うのは“怖くはない”ということです。硫黄島とは別の、ある地域に派遣された際、宿泊先に持ち帰った遺骨をどこへ保管しておくか参加者同士で話し合い1人部屋である私の部屋に置くことになったんです。でも怖いという気持ちは全くなく、むしろそうしてあげたいという気持ちが大きかったです」
硫黄島

遺骨と一緒に寝た宿泊先のホテル

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当時の“正義”を理解した
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元週刊誌記者、現在フリーライター。日々街を徘徊しながら取材をしている。著書に『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)。Twitter:@onkunion

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