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40歳で世界初の“クラウドファンディングJリーガー”になるまで。ヤンキー高校、本場ブラジルの過酷な環境を経て…

 世界初のクラウドファンディングJリーガーとして注目を集める安彦考真。前回の記事「安彦考真が40歳でJリーガーを目指す理由『サッカー選手は個人競技のアスリートの姿勢を見習うべき』」では、サッカー界の現状と未来について、独自の切り口で考察してもらった。そして、その哲学に行き着いた原点となる自身のキャリアを改めて聞いてみた。

安彦考真

安彦考真が40歳でJリーガーを目指すまで…


「幼稚園の頃からボールを追いかけ回していたサッカー小僧でした」

 安彦氏が開口一番にそう話す。しかし、自分が一番でなきゃ嫌だと思いながら、仲間外れになるのも怖い。ガキ大将気質なのに、どこかでビビっている、そんな子供だったと振り返る。

「中学校のときに1か月くらい、クラス全員からシカトされていた時期がありました。原因はTVゲーム好きのオタクを僕がからかったため。当時ストリートファイターⅡが流行っていて、クラスのほとんどが夢中になっていたんですね。すると、からかっていた子が力を持って、あいつ無視な。みたいな逆転現象が起きたんです」

 いきなり挨拶さえ返されなくなり、毎日お弁当を交換していた友人まで離れていった。

「暗黒の時代でしたが、サッカー部の連中が心の支えになりました。休み時間になると教室まで来てくれたんですよ。あの頃培ったボール一個を通した絆、信頼関係は深く残っていて、今でもサッカーから離れられない理由のひとつですね」

推薦入学から漏れヤンキー高校のサッカー部に…


 高校進学時にもサッカーによるヘルプ、推薦入学が利用できた。

「今の麻布大学付属高等学校、当時は麻布大学附属渕野辺高等学校なんですけど、セレクションでは合格したんです。『どうよ! 名門高校でのサッカー生活がスタートだ!』と息巻いていました」

 しかし、評定平均的な部分が足りず、結局は入学を許されなかった。

「サッカーで行く気満々だったから、勉強なんて全くしてないわけで。最終的に入ったのは自分の偏差値にマッチした神奈川県立新磯高等学校(※2011年に廃校)。もうヤンキーしか行かない、川っぺりの吹き溜まり高校ですよ(笑)」

 強豪に入るどころか、弱小高校に行かざるをえなくなったのだ。サッカー部のチームメイトはリーゼントやパンチパーマばかり。

「しかも、メチャクチャ弱い。2年のインターハイ予選時、0対12で負けた日大藤沢に、翌年0対3まで縮められたことだけが僕らの自慢ですから」

 とはいえ、幼少期からプロを意識していた安彦氏。自己鍛錬は部活動だけで終わらせない。40代の陸上競技記録を持つ担任、吉田先生が作った練習メニューに従い、弱点である足の遅さ克服も図っていた。

「荒れている環境でしたが、どうしてもプロになりたい一心です。そして、次のステップに行きたいと思っている矢先に、友人がブラジルにサッカー留学。僕も触発され、渡航費のために新聞配達を始めました」

 毎日午前2時に起きて、自転車の前後に100部ずつ積んで配達。「気づいたら階段で寝ちゃってたり、雪の日なんか全部ひっくり返しちゃったり、大変でした。配達の後はキッチリ朝練に行って」という生活サイクル。そんなシリアスな姿勢がほか部員との対立を生み、サッカー部は分裂してしまう。

「親父に言われたんです。まず話せ、そして聞けと。その時初めてみんなの意見を聞き、そういう考えもあるかと理解して。人の気持ちや価値観を大事にしなきゃいけないと学べたタイミングかもしれません」

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高三でブラジル留学、「裏切り者」が飛び交う日常

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