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40歳でJリーガー&プロ野球選手になった男2人が「夢を実現するまで」

 逆境を乗り越え40代にして、プロアスリートに挑む。その夢を見事叶えた2人の男がいる。
アスリート対談

(左から)そうすけ氏、安彦考真氏

 一人は、芸人から独立リーグのプロ選手にトライしたそうすけ氏。帝京高校野球部からお笑いの道へ進んだそうすけ氏だが、40歳にして四国の独立リーグである四国アイランドリーグplusのトライアウトに挑戦。見事合格を果たした。  一方、現役41歳Jリーガーとして注目を浴びるのが安彦考真氏だ。高校在学中にプロを志し、ブラジルへサッカー留学。帰国後はサッカーに関わる活動をしてきたが、「40歳までにJリーガーになる」と一念発起。クラウドファンディングでトレーニング資金を募った末に、現在はJ3のY.S.C.C.横浜に在籍。 「40代・プロ経験なし」という大きすぎるハンディがありながらも、夢を実現した2人に、逆襲を達成するまでの経緯や心構えを聞いた。 ●40歳でJリーガーになった男・安彦考真 ’78年生まれ。高校在学中にブラジルにサッカー留学。帰国後、通訳やコーチなどを経て、40歳でJ2の水戸ホーリーホックと契約。’19年にY.S.C.C.横浜へ移籍。現在もプロ選手として活動を続ける ●40歳でプロ野球選手になった男・そうすけ ’76年生まれ。’16年に四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに投手として入団、9試合に登板し、防御率1.98の好成績を残すも同年限りで引退。現在はピン芸人として活躍する

リベンジを果たしたアラフォーアスリート特別対談

――前代未聞の挑戦のきっかけはなんだったんでしょう。 そうすけ:僕の場合は40歳の節目に、偶然卒アルを見たことです。小学校でも中学校でも将来の夢は「プロ野球選手」だったのに、高校時代は「夢は野球選手からお笑い芸人に変わった」と書いてあって。中学まではチームの誰よりもうまかったのに高校に入ったら、周りが野球エリートばかりですぐに挫折したんです。 それを見たとき、「自分は挑戦もせず、逃げたんだ」と無性に悔しくなりました。ちょうどその頃、知人から「独立リーグのプロテストを受けたら」と言われて。草野球はずっと続けていて、それなりに体は動いたこともあり、チャレンジしたんです。 安彦:僕もプロを目指したのは「人生の後悔を取り戻す」のが大きなテーマでした。ブラジル留学から帰国後、一度、21歳でJリーグのプロテストを受けたんですが、その場はうまい人ばかりでビビって全然動けなかった。 当然落ちて、プロは断念したんです。その後、チームスタッフや高校生への指導などの仕事を通じて、サッカーには関わっていたんですが、突然、「家賃を稼ぐために仕事してないか? 俺、かっこ悪いな」と気がついて。 思い返すとプロテストを受けたときも周囲には「そこそこやれたんだけど、チームの方向性と合わなくて」とか言い訳ばかりして、自分にも嘘をついていたんです。 そこで人生の後悔を取り戻し、自分に嘘をつかない生き方にするために40歳までにJリーガーになろうと決め、その場で仕事先に電話して「やめます」と伝えて、プロテストを受けました。 そうすけ:テストを受けるまでの準備は大変ではなかったですか? 安彦:ジムに通ってしっかり体づくりをしたかったのですが、仕事をやめちゃってお金がないのでクラウドファンディングを活用しました。ただ、むしろプロになったあとのほうがキツくて……。突然おじさんが入ると、ほかのメンバーは「この人、誰?」って感じになるじゃないですか。 そうすけ:めちゃくちゃよくわかります! 僕の場合、周囲がNPBを本気で目指している若い選手ばかりだったので、最初は「俺らは芸人が入れるようなリーグでプレーしているのか?」と思う人も多かったみたいで。 安彦:目に浮かびますね……。 そうすけ:でも、そこは実力と根性を見せていくしかない。40歳だけど、練習も必死に食らいつくし、試合も真剣にやりました。おっさんが必死だと、若手も必死になって、チームの士気も上がる。最初は不満げだったファンたちも、次第に受け入れてくれて。「愛媛に来てくれてありがとう」と言ってもらえたときは嬉しかったですね。
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「自分の当たり前」も場所を変えれば貴重に
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