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ロディ・パイパー フィクションとノンフィクションの境界線――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第63話>

 パイパーはひとつのカテゴリーに分類することのできない不思議なレスラーだった。  レスリングのテクニックで観客を魅了するタイプではなかったし、ホーガンのようなわかりやすいパワーファイターでもなかった。  これといった必殺技を持っていたわけでもないし、かといって暴力的なヒールでもなかった。  独特のモーションから放つボクシング・スタイルの左右のパンチ、右手でVサインのような形をつくって放つ“目つぶし”、顔面かきむしり、急所攻撃といった古典的な反則攻撃が十八番だった。  大技らしい大技をほとんど使わず、アリーナ席の最上段に向かってニヤリと笑っただけで何万人もの観客を手のひらに乗せてしまうことができるスーパースターだった。“目で闘うプロレスラー”ということになるのかもしれない。  それは「15のトシからこの仕事をしてきた」パイパーだけが身につけることのできた“生きる力”だったのだろう。  WCW崩壊後、パイパーは新団体TNA(トータル・ノンストップ・アクション・レスリング)を経由し、2005年の“ホール・オブ・フェーム”授賞セレモニーで古巣WWEに復帰。  しかし、翌2006年にホジキンリンパ腫(悪性リンパ腫)を発症し、リハビリのため何度めかの引退生活に入った。  最後の大舞台は“レッスルマニア25”でのクリス・ジェリコとの“ハンディキャップ・イリミネーション・マッチ”だった(2009年4月5日=テキサス州ヒューストン、リライアント・スタジアム)。  パイパーは、かつてのライバルで親友のフレアーをセコンドつけ、スヌーカ、スティムボートとともに世代のちがうWWEスーパースターであるジェリコとのシングルマッチを楽しんだ――。 ●PROFILE:ロディ・パイパー“Rowdy”Roddy Piper 1954年4月17日、カナダ・サスカッチェワン州サスカトゥーン出身。本名ロドリック・ジョージ・トゥームス。生年月日については諸説がある。“レッスルマニア1”ではポール・オーンドーフとのコンビでホーガン&ミスターTと対戦。“レッスルマニア2”ではミスターTとボクシング・マッチで再戦した(1986年4月7日=ナッソー・コロシアム)。2015年7月31日、カリフォルニア州ロサンゼルス郊外の自宅で死去。61歳だった。 ※文中敬称略 ※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦
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