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ロディ・パイパー フィクションとノンフィクションの境界線――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第63話>

 ノースカロライナ時代のパイパーのライバルは同世代――といってもフレアーのほうが5歳年上――のリック・フレアーで、ふたりはNWA・USヘビー級王座を“キャッチボール”する関係だった。  1980年代前半、アトランタのローカルUHF局だったWTCG(ターナー・コミュニケーション・グループ)が衛星チャンネル&ケーブル局WTBS(ターナー・ブロードキャスティング・システムズ)に模様替えした。  それまでジョージアのローカル番組だった“ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング”が“ワールド・チャンピオンシップ・レスリング”にアップグレードされた。  ケーブルテレビという新しいメディアによるプロレス番組の全米中継時代のはじまりだった。  パイパーは、新番組のなかでトーク・コーナー“パイパーズ・ピット”のホスト役をつとめた。現役レスラー兼“ヒールの解説者”というコンセプトを発明したのはパイパーだった。  ビンス・マクマホンは、パイパーのタレント性に目をつけた。1984年にスタートしたWWEの全米マーケット進出計画のキーパーソンズは、ベビーフェースの主人公がハルク・ホーガンで、ヒール・サイドのスポークスパーソンがパイパー。これが“マクマホン新体制”の基本コンセプトだった。  WWEは週5本のテレビ番組を自社製作し、まだ広告収入の低かった全米各地のケーブル局やローカル・チャンネルから放送時間をブロックで買い上げ、これらの番組を毎晩のようにアメリカじゅうに流しつづけた。  “スカートをはいたヘンなプロレスラー”パイパーは、アメリカでもっとも露出度の高いトレンド・アクトに変身した。  パイパーとビンスがいつも“いい関係”にあったかというとそうではなかった。  “ロディ・パイパー”というリングネームの版権・著作権と知的所有権、キャラクター・グッズの肖像権と印税のパーセンテージ契約をめぐり何年かにいちどずつ大ゲンカをくり返した。  ビンスはあくまでも“ロディ・パイパー”をWWEの登録商標ととらえ、パイパーはパイパーで「オレは15のトシからこの名前で通ってる」と主張した。  これとまったく同じ問題は、それから20年後にもビンスと“ストーンコールド”スティーブ・オースチンのあいだでも持ち上がった。  パイパーは、ビンスに対して孤独な“ストライキ”を挑んだ。アクション俳優への転向を試み、映画『ゼイリブ』をはじめ、何作かのB級ホラー作品、B級アクション作品に主演した。しかし、休業‐引退宣言をするたびにけっきょくはリングに舞い戻ってきた。  プロレスラーに引退はないのだろう。これはひとつの真理といっていい。テッド・ターナー新体制との対立でWCWを退団したリック・フレアーがWWEに移籍してくると(1991年9月)、パイパーはみずからすすんでフレアーの“ケンカ相手”を買って出た。  それは青春時代のリメークのようなワンシーンだった。フレアーは1年半だけWWEに“滞在”し、NWAの流れをくむWCWへUターンしていった。パイパーもまた休業宣言してリングから消えた。  パイパーはその後も何度かの復帰‐引退‐復帰をくり返した。  WWEでのパイパーの“隠れた名勝負”としていまも語りつがれている試合は“レッスルマニア8”(1992年4月5日=フージャー・ドーム)でのブレット・ハートとのインターコンチネンタル選手権。  1990年代後半にWWEの主役となるブレットにとっては、WWEでの初のシングル王座獲得となった一戦。パイパーとブレットの“存在感”の闘いだった。  WWE“マンデーナイト・ロウ”(USAネットワーク)とWCW“マンデー・ナイトロ”(TNTターナー・ネットワーク・テレビジョン)の“月曜TV戦争”がスタートすると、40代になったパイパーは1996年、ライバルWCWと契約を結び、南部アトランタでホーガン、フレアーらと再会を果たした。  WCWは1980年代的な“プロレス興行”と1990年代的な“プロレス映像”が同居する空間だった。  パイパーがターナー社と交わした契約書には“クリエイティブ・コントロール”という条項が記載されていた。  これはパイパーが“ナイトロ”をはじめとするWCW制作のTVショーに出演するさいの条件で、パイパーの登場シーンにおける“番組内容”はパイパー自身がプロデューサーとしての権限を有するという特別な契約になっていた。
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ひとつのカテゴリーに分類することのできない不思議なレスラー
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