小林よしのり、オウムに暗殺されかけたあの日々を語る
だが、オウムに懐疑的な目を向ける小林氏は言論界で孤立無援となっていく……。そして、実生活でも追い打ちをかけられつつあった。教団に命を狙われたのだ。
「オウムは名誉棄損でわしを訴えるのより前に、暗殺指令を出していた。身辺に怪しい人間がうろつくようになり、書店で立ち読みしていると、外からずっとわしを見ているヤツがいる。店を出るとつけてきたので、市場に入ってグルグル路地を回り、振り切ったところでタクシーを拾い後ろを振り返ると、あからさまに悔しがっていた。マスコミかと思ったけど、そんな怪しい記者はいないよ(苦笑)。地元のカフェでも、妙な服装の男4、5人が入ってきてすぐ隣の席に座った。若い女性客が多いカフェだから異様で、当時の秘書が連中をずっと睨みつけて威嚇していたから事なきを得たが、直後、仕事場の前に怪しいクルマが停まるようになった。当時は、オウムがそこまで危険な教団とは思っていなかったが、何者かに尾行されているのは事実。警察に相談すると『玄関から入ってきたら、連絡してください』と言う。こっちは住居に入られたら終わりなのに警察は頼りにならないし、慌てて仕事場を引っ越したよ」
命を守る孤独な戦いが続くなか、’95年3月20日、警察による強制捜査を妨害するため、オウムは地下鉄サリン事件を引き起こす。
「『キターーーッ!』って思ったね。周囲で起きていた不穏なことすべてがオウムに結びついた瞬間だった。一方、上祐史浩ら幹部はメディアに出まくり、無実を主張しはじめた。ここでオウムを潰さなければ殺されるから、わしは生命を賭した闘いを決意した。ところが、SPA!の読者がイカレていて、(上祐をアイドル視した)『上祐ギャル』が抗議の手紙を大量に送りつけてきたり、青山弁護士の似顔絵を描いては、『こんな素敵な若者たちが、やるはずない!』とムチャクチャを言う」
小林氏はオウムはもちろん、擁護する知識人、煽るマスコミ、踊らされる若者、すべてが狂っていたと当時の狂騒を嘆く。
「地下鉄サリン事件後、故・西部邁も『自分も(信じそうで)危なかった』と明かしたが、彼は東大で中沢新一を応援していた。日本のアカデミズムが、オウムを後押ししていたのだ。わしはエリートが先導するアカデミズムにおもねらず、市井の人々ならオウムをひと目でおかしいと感じると思っていた。そうした素朴な市民感覚こそが大事なのだ。吉本隆明は『小林は市民の側に立っているにすぎない』と批判したが、じゃあアンタは誰の側に立っているんだ? と問いたい。そもそも『ゴー宣』を始めたきっかけも知識人批判だからね」
今回の死刑執行で、小林氏の闘いは区切りを迎えた。そして、7月31日発売の号の『ゴーマニズム宣言』から、急遽、オウム真理教事件を総括するシリーズを開始する。果たして小林氏がどのようにオウムとその時代を総括するのか? 注目である。
【小林よしのり氏】
’53年、福岡県生まれ。’75年、『東大一直線』が大ヒットし、その後も『おぼっちゃまくん』など話題作を連発。『ゴーマニズム宣言』シリーズは、日本の思想状況を一変させた。次号から急遽「オウム総括編」を連載
取材・文/斎藤武宏 撮影/渡辺秀之
― オウム真理教とは何だったのか? ―
SPA!が生んだ「上祐ギャル」からの猛抗議
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