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元Jリーガー榎本達也39歳、ブラインドサッカーで“現役復帰”した舞台裏

 第一線を退いた後も、夢を追いかけて、再び新たな場所でのやりがいを求めてピッチに舞い戻る「おっさんフットボーラー」がいる。体力・気力も衰えつつあるなか、何が彼らを焚きつけるのか。その胸中を聞いた。

元Jリーガー“復帰”物語

ブラインドサッカーで“現役復帰”パラ五輪に懸ける39歳・GK


 Jリーグでゴールを守った試合は343試合。’01年のJリーグカップでは横浜FMを優勝に導き、大会MVPに輝いた。’04年の浦和とのチャンピオンシップではPKを2本止め、横浜Mの連覇に貢献。その後4つのチームで守護神を務めた榎本達也が20年にわたるキャリアからの引退を発表したのは’16年の冬。36歳だった。しかし、それからすぐ、榎本はブラインドサッカーの選手として37歳で“現役復帰”を表明。周囲を驚かせた。

 ブラインドサッカーは全盲のフィールドプレーヤー(FP)4人と健常者、もしくは弱視者のゴールキーパー(GK)、ピッチ外の敵陣後ろからFPに敵やボールの動きの情報を提供する「ガイド」、全体を指揮する「監督」の合計7人で行われる競技だ。ピッチサイズはフットサルと同程度で、転がると音の出るボールを使用。きたる’20年の東京パラリンピックではメダルが期待されている。

 なぜ、Jリーグで一線を張ったGKが、障がい者スポーツへ転身を図ったのか。榎本は苦笑いする。

「そもそもまったくその気はなかったんです。FC東京からは普及部のコーチの打診を受けていましたし、高田敏志日本代表監督からお話をいただいたときもブラインドサッカーの知識はなく、コーチかスタッフで携わるのだと。そうしたら『現役で』と言われ、困惑したのを覚えています」

 自身が「不器用な性格」という通り、コーチとして契約する以上、その他のことはできないときっぱりと断った。ましてや現役時代、U-20など年代別代表の経験もあり「重み」を知る榎本にとって、真剣にパラリンピックを目指す選手を差し置いて、代表選手になるのは失礼だという気持ちもあった。しかし、それでも熱心に誘う高田監督へ義理を果たそうと’17年2月の代表合宿に参加した。

「放課後ドッジボールをしている感覚で、ブラインドサッカーに触れ、単純に楽しかった。でも、代表入りは断るつもりでした。『これで固辞しても監督は気を悪くしないだろう』という打算も(笑)」

 しかし、子供たちを教えるなかで、再三チャレンジすることの重要性を説いていた自分と、その行動が矛盾していることに気がついた。

 ’17年4月、ブラサカ日本代表の強化選手指定を受け入れた。選手として合宿に参加すると、サッカーというが、競技としてのギャップに苦労した。

「ルールが全く違うんです。GKは縦2m×横6m弱のゴールエリアから一切出られず、プレー範囲が狭い。シュートも足にクリーンヒットしない場合があるので、相手の体の向きからコースを読みセーブする“駆け引き”ができないなど、経験が邪魔になりました」

元Jリーガー“復帰”物語

GKはゴールを守るだけではなく選手への指示も必要となる。後ろに回り、選手の背中に指でフォーメーションを描き、守備陣形や動き方を指示することもある

 チームは榎本を迎えてくれたが、昨年12月のアジア選手権では6か国中5位と低迷、世界選手権の出場権を逃したのに、危機感のない選手たちに榎本は苦言を呈した。

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選手たちの背景や、境遇なんて俺には一切関係ない

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