重本ことり所属事務所元会長、元銀座No.1ホステス…鈴木セリーナの半生
3月4日(月)、元『Dream5』リーダーでタレントの重本ことりが、Instagramで芸能界引退を発表。他方、同日6年ぶりにJ1昇格した『大分トリニータ』の初となる公式ソングが制作されると報じられた。一見、まったく関係ない2つのニュースだが、どちらのニュースでも名が出てくるのが、マルチクリエイティブプロデューサーの“鈴木セリーナ”氏なる人物。
鈴木氏は大分県出身。母子家庭で育ったが母方の祖父母が温泉の源泉の権利を持っている湯元だったため、経済的には普通の家庭よりずっと裕福な生活だったらしく、自身の幼少期をこう分析する。
「大分って当時は私立学校がなくて公立と国立の学校だけだったんですが、小中学校は地元のお金持の子たちが通うような国立の小中一貫校に通っていました。子供の頃はみんなが賛成なことも1人で平気で反対意見を言っちゃう感じで、私のせいでクラスの話し合いが進まなくなったりして、学校では嫌われていました(笑)。授業も途中で勝手に抜け出したりして、先生にもしょっちゅう怒られて。人と同じことがするのが嫌とか、気が強いというわけではないんですが、自分がやりたくないことはテコでもやらないという気持ちが、どうしても出ちゃうんですよね」
しかし、そんな経済的に恵まれた環境に息苦しさも感じていたそうで、思春期になると親への反発心から非行に走り、16歳で年齢を隠しながら大分でホステスとして働き始めたという。
「週に7日間、塾やらピアノやら毎日何かしらお稽古していた反動で、高校はみんながいく進学校とは全く別の学校に進んだんですよ。高校入学とほぼ同時期に彼氏もできて、そこからは絵に描いたように反抗期まっしぐら。
家出を繰り返して大分市の繁華街の居酒屋でバイトを始めたんですけど、家のお手伝いもしたことない世間知らずのお嬢様には、居酒屋の仕事って大変すぎて。初日の数時間で辞めることにしたんです。そのとき店の板前さんに『姉ちゃん人当たりいいし、お話も上手だからホステスで働いたら?』と言われて、『どうしたらその仕事探せるん?』と聞いたら、『多分その辺フラフラしてたら声かけられるで』と。
その日の何時間分かの給料をもらって外をしばらく歩いていたら、本当にすぐキャッチに合ってそのまま働くことになりました。そもそもホステスが何かよくわからなかったので、『華やかな衣装も着れるし、いいか』くらいの感覚でしたね(笑)」
結局、高校は1年で中退。20歳までの4年間、大分のクラブにホステスとして在籍した。お酒は今も昔も一滴も飲めない体質らしいが、当時すでに地元の繁華街ではトップクラスの売り上げを誇っていたそうだ。
同じ日にSPA!でも“職場で嫌われるおじさん”という、これまた全く別の方向から鈴木氏のインタビュー記事を取り上げ、大反響を呼んだわけだが、そもそも鈴木セリーナとは何者なのか。本人を直撃して、その半生を語ってもらった。
16歳でホステスデビュー、10代で息子を出産
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1988年生まれ道東出身、大学でミニコミ誌や商業誌のライターに。SPA! やサイゾー、キャリコネニュース、マイナビニュース、東洋経済オンラインなどでも執筆中。いろんな識者のお話をうかがったり、イベントにお邪魔したりするのが好き。毎月1日どこかで誰かと何かしら映画を観て飲む集会を開催。X(旧Twitter):@tsuitachiii
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