大森望氏「訳者によって考え方も違う。翻訳に正解はないんです」
「訳者によって考え方も違う。翻訳に正解はないんです」
考えてみると、単純な誤訳はまだしも珍約はある種、言葉を通じて文化を訳す苦労の産物ではなかろうか? SF小説を中心に手がける翻訳家・大森望氏に翻訳という仕事について聞いた。
「僕の場合は『この作品を日本人が書いたらどうなるか?』と意識して翻訳しています。翻訳物は読みにくいと敬遠されがちなので、読者がストレスなく読めるよう、なるべく日本の小説に近づけたい。もちろん、原本の一言一句を残らず訳すという人もいますし、翻訳家によってまったく考え方は違いますけどね」
とはいえ、いずれにせよ翻訳でハードルとなるのが、文化的背景であり、情報量の差だという
「SF小説の場合、出てくるのもは作者の頭の中にしか実在しない物が多いので楽なんですが(笑)、アメリカではポピュラーなのに日本ではなじみのない商品名なんかは厄介ですね。いちいち訳注を入れるのも興ざめだし。情報量が乏しかった時代は、わかりやすい名前に置き換えるのが一般的でした。『ナルニア国ものがたり ライオンと魔女』に出てくるターキッシュ・ディライト(トルコのゼリー菓子)が、翻訳ではプリンになってるとか(笑)
また、文化的背景は時代とともに変わるわけで、当然、訳も時代性とは無関係ではいられない。
「例えば、ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』という名作に、家事用ロボット『ハイヤード・ガール』の家事用ロボットが出てくるんですが、’63年に出た福島正実訳では、『文化女中器会社』と訳されました。当時は、文化包丁に文化住宅とハイカラな物にはやたら『文化』とつけていた時代。でも、’09年の小尾芙佐訳では『おそうじガール』になった。これは時代による変化ですが、同じ脚本でも役者と演出が違えば舞台の印象がガラっと変わるように、訳者によって作品は変わる。翻訳に正解はないんです」
【大森望氏】
おおもりのぞみ●’61年生まれ。SF翻訳家、書評家。近著に責任編集の『NOVA1-書き下ろし日本SFコレクション』、『狂乱西葛西日記20世紀remix SF&ミステリ業界ワルモノ交遊録』
取材・文/杉山大樹 田山奈津子 港乃ヨーコ 鈴木靖子(本誌)
Special thanks/ Benny Hiro Nakano Nami Tanaka Natsumi Hayashi Tomoko Shida
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