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サッカー引退から13年、中田英寿42歳は何してる? 長すぎる旅の軌跡を追う

 三浦知良、ラモス瑠偉から、中村俊輔、本田圭佑まで。日本サッカー界に大きく貢献してきたレジェンドの名前を挙げていけばきりがないが、忘れることのできないのが、イタリア・セリエAでもプレーした中田英寿(42)だ。
中田

画像は、中田英寿オフィシャルサイトより

 サッカー選手と言えば、ほとんどの選手が30代でその選手生活を引退する、息の短い業種である。そのため、引退後にはコーチや監督、もしくは解説者としてサッカー界に携わっていくのが一般的だが中田の場合は違う。  そこで今回は、引退後にサッカー界に姿を現さなくなった中田の現在の活動を、その経歴と共にひも解いていく。日本サッカー界のレジェンドは、果たしてどこで何をしているのだろうか。

選手時代:海外移籍への道を作った第一人者

 現在の活動の前に、選手としての中田がどれだけ偉大だったのかを説明する必要がある。高校を卒業後、Jリーグ・ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に所属すると、1996年にチーム最年少選手としてアトランタオリンピックに出場。その2年後には、当時世界最高と言われていた、イタリアリーグへ電撃移籍を果たした。  イタリアでのデビュー戦は、世界的強豪・ユベントスとの一戦。2得点という目に見える結果を残した中田は一気に世界から注目される存在へとなっていった。これにより、海外の強豪クラブが日本人に目を付けるようになった。つまり、現在世界の舞台で活躍する香川真司や、長友佑都は、中田の功績があってこその存在と言えるだろう。  その後、A.S.ローマ(イタリア)やボルトン・ワンダラーズF.C.(イギリス)などで活躍した中田。当然、日本代表としても活躍し、持ち前のフィジカルの強さとキラーパスで日本のW杯初出場に大きく貢献するなど、その功績を挙げ出したらきりがない。
に・ほ・ん・も・の

A.S.ローマ時代には、アジア人として初となるイタリアリーグチャンピオン「スクデット」を獲得した(画像は中田英寿著書『に・ほ・ん・も・の』より)

引退後:早すぎる引退……そして世界放浪の旅へ!

 そんな中田は、日本代表の中心メンバーとして戦った2006年のドイツW杯を最後に、29歳の若さで突然引退する。引退の理由については、後のインタビューで「僕にとってサッカーは人生であり、家族のようなもの。楽しくてやっていたはずのサッカーを楽しめなくなってしまった。それが自分の人生に対する裏切りだと感じたんです。だから、自分に嘘をついてまで続けたくなかった」と語っている。  日本サッカー界のレジェンドの突然の引退劇に、多くのサッカーファンは悲しんだが、それと同時に一つの希望を持ったことだろう。“クレバーなプレースタイルと、海外でたくさんの経験を積んだ中田が、コーチ、監督として活躍してくれれば、日本サッカーはさらに発展するのではないか”と。  しかし、その夢は現状叶っていない。中田の選択はコーチでも監督でもなく、“旅に出る”というものだった。サッカー以上に熱中できるものを探すために旅に出たという中田。海外を転々としながら、世界の問題点をできることから解決しようと「TAKE ACTION!2008+1」キャンペーンや、一般財団法人『TAKE ACTION FOUNDATION』(以下、TA財団)などを設立し、世界のさまざまな問題へ向き合っていった。  帰国後の2009年には、日本国内を7年かけて放浪。寺社仏閣、伝統工芸の職人、農家、酒蔵などで足を止めては、詳しく話を聞いてまわるようになったという。この活動をきっかけにTA財団主催で伝統文化・工芸などを支援するプロジェクト「REVALUE NIPPON PROJECT」をスタートさせた。  さらに2015年には、株式会社『JAPAN CRAFT SAKE COMPANY』を設立。お酒の素晴らしさやおもしろさを多くの人に知ってもらうために活動を続けている。
JAPAN CRAFT SAKE COMPANY

日本酒専用の冷蔵庫を開発したり、日本酒アプリを監修したりと、幅広く活動を続けている(画像は「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」HPより)

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サッカー界に帰ってきた中田の現在
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