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私は一度でも麻生太郎を絶賛した人間を信用しない/倉山満

麻生太郎

6月18日、参院財政金融委員会で答弁する麻生氏。金融庁報告書は受け取り拒否、そして「(年金制度が)100年間安心は大前提」という説明。それで通るのか?(写真/時事通信社)

私は一度でも麻生太郎を絶賛した人間を信用しない

 私は安倍内閣を積極的に支持している時から、この人物を重用するのに反対し続けてきた。「老後2000万円問題」で炎上中の、麻生太郎副総理兼財務大臣である。  国民は冷静である。普通の人間は、最初から「年金だけで生活が安泰だ」などと信じていない。その証拠に、自民党の支持率も下がったが、騒ぎに同調した野党の支持率も下がった。上から目線の、麻生太郎の態度が反感を買っているのである。  私は一度でも麻生太郎を絶賛した人間を信用しない。一時期は「俺達の麻生」という流行語が生まれ、いやしくもプロを名乗る言論人でも絶賛する人間がいたが、正気ではない。  麻生太郎。昭和15(1940)年、福岡県の麻生財閥の御曹司として生まれる。母方の祖父は吉田茂。吉田の妻は大久保利通の孫娘である。親戚系図をたどれば皇族にも行きつく。華麗な閨閥だ。妻は鈴木善幸の娘である。麻生が「大久保利通の玄孫」「吉田茂の孫」として生まれたのに本人の意思は関係ないが、「鈴木善幸の息子」だけは自分で選んだ。ちなみに鈴木善幸は「暗愚の宰相」と呼ばれた首相である。  麻生の父・太賀吉は、麻生セメントの社長で、吉田茂のスポンサーでもあった。麻生は庶民とかけ離れた生活を送っており、「麻生の為に小学校が作られた」だの、初出馬の際の第一声が「下々の皆さん」だったとか、逸話には事欠かない。  吉田の命令でイギリスのロンドン大学に留学したが、初日の授業で国際政治の現実を知った気になってしまう。その思い出を自民党の学生部に来て滔々と語って、その場にいた学生全員からバカにされた御仁である(その学生の一人が私である。詳細は不毛なので省略)。  麻生は、昭和54年の総選挙で初当選。1回の落選を経験しながらも、13回の当選を数える。派閥は、岳父の鈴木が幹部・領袖を務める宏池会に所属。順調に出世の階段を歩む。  宏池会の分裂に際しては、加藤紘一を嫌い、分派した河野洋平派に所属。河野の庇護下で、党幹部と大臣を経験していく。河野からの派閥禅譲は平穏に行われた。これでは、麻生も河野洋平にだけには頭が上がらない。河野の前では、さすがの麻生も直立不動らしい(側近の言)。
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