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鬼才・岡村靖幸、3度の薬物逮捕でも愛されるワケをその軌跡から読み解く

 シンガーソングライターの岡村靖幸が、RHYMESTERとのコラボ楽曲を自身のライブツアーで発表した。『岡村靖幸さらにライムスター』名義で近日中に音源化も予定しているようだ。
少年サタデー

2019年にリリースされたEP『少年サタデー』は『王様のブランチ』(TBS系)のテーマソングになっている(画像は『少年サタデー』ジャケットより)

 岡村靖幸といえば、80年代に頭角を現し、今なお世代を超えて愛され続けているミュージシャン。奇抜でグルーヴィーなサウンド、思春期の只中に居るようなピュアさが残る歌詞、パワフルかつ色っぽい歌声…そのどれもが革新的で、業界にもファンを公言する人が多い。  しかし、岡村がここまで歩んできた道のりは、決して平坦ではなかった。今回はそんな鬼才・岡村靖幸が歩んだ激動のミュージシャン人生を振り返りたい。

1980年代:作曲家から転身し鮮烈なソロデビュー、熱狂的人気を集める

 岡村は1965年、兵庫県神戸市生まれ。19歳のときに雑誌で見かけたEPICソニーのディレクターの電話番号に連絡し、デモテープを持ち込んだことがきっかけで作曲家として音楽業界に身を置くこととなる。そして1986年より吉川晃司、渡辺美里などに楽曲提供を開始。  作曲家、アレンジャーを経て、1986年『Out of Blue』でソロデビュー。作曲家としてはその歌手のイメージに合わせることに重点を置くが、自身の曲は自分をいかに表現できるかであると、違いを語っていた岡村。ブラックミュージック、ロック、ポップスなど多方面にルーツを持つ独特な音楽性は、歌謡曲で飽和した日本の音楽シーンで際立ち、熱狂的な人気を集めたのだった。
yellow

ファーストアルバム『yellow』は紙ジャケット仕様(画像は『yellow』ジャケットより)

 1987年のファーストアルバム『yellow』から、1988年『DATE』、1989年『靖幸』と1年に1枚のペースでオリジナルアルバムを発表し、ソロアーティストとしての存在を確立させる。『yellow』は作詞家、スタジオミュージシャンを迎え入れての制作であったが、徐々に岡村がイニシアチブを握るようになり、以降現在までレコーディングの際にはほぼ全ての楽器を自ら演奏しているという。  また、当時は生前の尾崎豊、吉川晃司らと親交が深かったことも知られており、この“豪華同級生3人組”はしょっちゅう連れ立って夜遊びをしていたそうだ。特に尾崎とは自身のステージにてコラボもしており、今でも両ファンの間で語り草となっている。

1990年代:傑作『家庭教師』を発表、再び裏方にまわり表舞台から離れる

 1990年、岡村靖幸史上最高傑作との呼び声が高い4枚目のアルバム『家庭教師』を発表。岡村の持つエキセントリックな個性が炸裂した濃密なこの一枚は、音楽シーンを大きく震撼させ、Mr.Childrenの桜井和寿もこのアルバムを聴いて“打ちのめされた”と評していた。  しかし『家庭教師』以降は再び楽曲提供やプロデュース業を中心に活動するようになり、ソロ名義での作品発表はペースダウン。当時のことを岡村は、「何かのきっかけがあったわけではなく、ただ甘えさせてもらってたんですね。好きなだけ時間をかけていいものを作っていい環境だったんです」と語っている。  この時期の裏方業は、ソロデビューで名を馳せたことで“岡村靖幸らしいもの”を求められることが増えたという。川本真琴のデビューシングル『愛の才能』の作曲、編曲、プロデュースを川本本人による希望から手がけ、第39回日本レコード大賞 ベストアルバム賞を受賞したファーストアルバム『川本真琴』のヒットに貢献した。
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覚せい剤取締法違反で3度の逮捕
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