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人がゴミだと思うものにだって、価値がある――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第80話>

キテレツ斎さまの存在が知れ渡る頃になると……

「これがキテレツ斎さまの普通なのかな」  普通なものとオーダーして置かれていたエロ本、いやキテレツ大百科は、今思うとSMものだったように思う。変な仮面をつけたおばさんが宙に吊るされていた。あまりエロさは感じなかったように思う。  キテレツ斎さま、ちょっとエロ本のセンスは悪いけど優しい人なんだろう、僕らの中ではそう定まった。そして、なんとかその優しい気持ちに応えたいと、僕らはお小遣いを出し合って缶コーヒーを購入し、キテレツ斎さまのポジションに置いた。  何日かしてその場所に行くと、エロ本が2冊置かれていた。たぶん、缶コーヒーのぶん、キテレツ斎さまが余分に置いてくれたんだと思う。  その後も、普通にしていれば1冊のエロ本、コーヒーやお菓子を置いておくと2冊、となっていたので、僕らの中で完全に「1缶コーヒー=1エロ本」という為替レートが出来上がっていた。僕らとキテレツ斎さまの心温まる交流はしばらく続いた。  ただ、ここからが良くなかった。僕だったか、友人だったか、それとも別のやつだったか覚えていないが、誰かが「缶コーヒーをおいておけばエロ本がもらえる」と口を滑らせてしまったのだ。  その噂は瞬く間に子供たちの間を駆け抜け、同級生どころか別の学年のやつまで、はては隣の学区の児童、中学生とかにまで伝わったらしく、大変なことになった。この時代、この年頃の子供たちのエロ本にかけるパワーを侮ってはいけない。  日に日に置かれる缶コーヒーが増えていき、最後の方はここで誰かが不慮の事故で死んだのかな? みたいな状態になっていたそうだ。  結局、そうなってしまうとキテレツ斎さまもうんざりしたのか、缶コーヒーは回収されず、エロ本が置かれることもなくなった。こうして僕らとキテレツ斎さまの交流は終わったのだ。 「位置関係的に仏壇がここだろ」 「じゃあキテレツ斎さまが置いていたのがこのへんか?」  はっきりと覚えているわけではないが、思い出のあの場所は駐車場のカート置き場になっているように思えた。 「うん、たぶんここだな」  その場所から空を眺める。なんだかあの時、仏壇と雑草の隙間から見た空と同じような気がした。   「今の子供たちってどこでエロに出会うんだろうな」  友人がそんな言葉を残した。最近ではそもそもエロ本が捨てられているような光景を見ない。おそらくではあるが現代の子供たちは落ちていても拾わないと思う。じゃあどこでエロと出会っているのだろうか。それとも出会わず、徹底的に遠ざけられているのだろうか。
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キテレツ斎さまって、俺らみたいなおっさんだったのかもな
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