
第二十夜 京に田舎あり
深夜二十二時、スマートフォンが鳴って画面を確認すると、珍しく故郷の母親からだった。
もしもし、と応答するや否や、母は早口で言った。
「アンタ、水商売の仕事はしばらく休みなさいよ?」
「喘息持ちで喫煙者のアンタなんか、真っ先に死ぬからね?」
いきなり何だと反発したくもなったが、深刻そうな声のトーンで、母の言いたいことも充分すぎるくらいわかった。
「大丈夫。さすがに行ってないよ」
わたしはそう嘘を付いて逃げるように電話を切った。
その通りだ。実家の蔵の掃除をしただけで発作を起こすポンコツのわたしにとって、今は死がすぐ側にある状況なのだと考えているぐらいの方が良いのだろう。
前々回の記事ではだいぶ能天気なことを書いていたけど、いくら知能の低いわたしでもそんなこと言ってられない状況になってきたってのもわかる。
ここ数週間営業していて、コロナ騒ぎによる多少の影響は感じられるものの、ノーゲストということはまずない。平日はまったりしているものの、週末となればいつも通りのてんやわんやの大騒ぎだし、カラオケはだいたい朝まで鳴り響いているし、都知事が夜間の外出、というか中高年のバーやナイトクラブという曖昧に表現される場所への出入りを控えるよう呼び掛けた直後だって、会社帰りのサラリーマンは集団でやってきてマイクに口を付けるほどカラオケを熱唱するし、肩組んで抱き合うし、泥酔するほど呑んでわざわざ自らの免疫を下げる。
正直、なんだか全然面白くない。いつもだったら笑えることが笑えない。そんなの、こっちがいくらマスクだ手洗いだアルコール消毒だと気を付けていても、来るものを拒めない立場にいる限り、意味がない。
「ちょっと怖いなぁ」
ふいにわたしがそう漏らした時、「気にし過ぎだよ」と一蹴された。
「俺は鬱陶しいマスクなんて着けねぇし、消毒もいらねぇ!」
誇らしげに放たれた言葉を聞きながら、わたしはぼんやりと頭の中で2011年の東日本大震災の直後のことを思い出していた――。