「緊急事態宣言は必要だったか?」舛添要一氏が安倍政権の最大の過ちを語る
最前線でコロナと戦う地方のリーダーたち。新型インフルエンザが流行していた2009年当時、厚労相として陣頭指揮をとっていた舛添要一氏は、地方の首長たちの仕事ぶりをどう評価するのだろうか。
――2009年、舛添氏が厚労相のとき新型インフルエンザが流行しました。
舛添:大阪府の橋下徹知事から夜中に電話がかかってきた。新型インフルエンザが流行っているから一斉休校したいけど、大阪市の平松邦夫市長が休校に従ってくれるかわからない、と。
そこで私が「感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)」に基づいて、大阪、兵庫を新型インフルエンザの感染地域に指定し、臨時休校できるようにしました。パンデミックのときに、権力を厚生労働大臣に集めるための法律が感染症法です。この感染症法があれば、本来ならば特措法は必要ありません。
ただパンデミックの最前線で戦うのは全国の知事。地域によって状況も大きく違う。橋下徹さんみたいに一斉休校がしたくてもできないケースは改善しなければならない。
そこで民主党政権へ変わっても、厚生労働省の優秀な職員や信頼できる民主党議員に後を託し、2012年に特措法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)が成立しました。
だからある意味では、特措法は私の置き土産と言えるのかもしれません。
――大阪府の吉村洋文知事は特措法を「血の通っていない」「ポンコツ」と批判しています。
舛添:国は知事に権限を渡しても、財源は渡さなかった。だから知事は自粛のお願いしかできない。国が財源も知事に渡せば、十分な補償ができ、従わないパチンコ店名を吉村知事が公表する必要もなかっただろう。
2009年、新型インフルエンザのときは感染症法だけです。それでも厚生労働大臣の私に権限を集中してもらって乗り切った。2009年の総理大臣が誰か覚えていますか?
麻生太郎副総理です。彼は私にすべて丸投げしていましたから、新型インフルエンザのときの総理大臣を誰も覚えていない(笑)。しかし結果的には厚生労働大臣の私にすべての権力を集中させたからこそ、迅速に対応できたのです。感染症法がうまく機能していれば、特措法が必要となるケースは少ないはずです。
しかし安倍政権は、一斉休校、独自の「緊急事態宣言」を行った北海道の鈴木直道知事が人気になったのを見て、初動の遅れを取り戻すためにマネしたくなったのでしょう。そこで特措法を改正するために、記者会見、国会答弁が上手い経済再生担当大臣の西村康稔に新型コロナ対策の陣頭指揮を執らした。厚生労働大臣の加藤勝信ではなく、西村ですよ。これでは感染症法があっても厚生労働大臣は手腕を発揮できないし、感染防止も経済支援も中途半端になってしまう。
私はこの権力分散が安倍政権の最大の失敗だと思っています。2009年新型インフルエンザは、感染症法だけで乗り切れたのに――。今回は感染症法と特措法の2つの法律があっても、どっちもうまくいかない。
もっとも新型インフルエンザと今回の新型コロナでは状況は大きく違います。
新型インフルエンザは、当初予想されていたよりも弱毒性でしたし、治療薬のタミフルも豊富に備蓄されていた。結局、新型インフルエンザは季節性インフルエンザと変わりませんでした。新型コロナはワクチンも治療薬もまだない。だから一概に比較はできませんが、緊急事態には一時的にどこかに権力と財源を適切に集中させるという考え方は同じです。
なぜ新型インフルエンザは抑え込めたのか?
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