更新日:2021年02月10日 16:23
スポーツ

甲子園のエースは引退後、外車の営業マンに「頭を下げることから始めたかった」

野球人口拡大に尽力する毎日

大野倫

母校の職員として沖縄で新たな人生を歩み始めた大野倫。現在はNPO法人を立ち上げ、野球人口拡大に尽力している

 そして帰郷を機に大野は、郷里のうるま市に「うるま東ボーイズ」を設立し、中学生を相手に硬式野球の指導を始める。そして、2019年3月にNPO法人『野球未来.Ryukyu』を立ち上げ、野球人口を増やすために日夜活動している。 「NPBの球団が野球普及のイベントとして年に数回、幼稚園や小学校を回っています。僕が目指すものは、日常的に野球に触れる機会を提供することであり、今、小学校の体育の授業で野球を教えています。学校生活の中にも野球があることは非常に意義があることです。チビッコたちに野球の面白さを教えていくことが野球人口拡大の一番の近道なんです」  全国的にも野球人口減少の危惧が叫ばれる中、沖縄県を見てみても2年前の2018年沖縄秋季大会は65チームだったのが、昨年の沖縄県秋季大会は55チームの参加となり、10チームも減少した。さらに日本高野連の調査によれば、沖縄県内の硬式野球部の部員数は16年に3448人だったのが、20年は2717人と5年間で2割以上減少するなど、年々減少化が進んでいる。

栽先生には心から感謝しています。

「高校時代の肘のことを皆さん語られますが、僕はまったく後悔していません。あのときは先のことなんて考えてないですから。もし途中で代えられていたら、どうだったでしょう。それこそ遺恨が残ったかもしれません。だからこそ甲子園でずっと投げさせてくれた栽先生には心から感謝しています。  ボーイズの指導を10年続けていますが、チビッコに“野球の楽しさ”を教えることと、甲子園を目指す“野球の厳しさ”を教えることは相反しているようでベクトル的には同じだと捉えています。沖縄の地でひとりでも野球をする子供が増えることが、僕にとっての野球への恩返しでもあり、恩師である栽先生の遺志をも継ぐことなんだと思っています」  後先考えずに夏の甲子園で投げ続けたときと、プロで戦力外通告され現役続行できるチャンスに挑んだときの思いは同じだ。悔いを残さない……その気持ちだけが大野の気持ちを突き動かした。NPO法人『野球未来.Ryukyu』を立ち上げたのもまさに一緒だ。  日本野球界のレジェンド長嶋茂雄、王貞治、高校野球界の名将栽弘義という天衣無縫の偉人たちから指導を受け、学んだことを未来の子どもたちにしっかり伝えていくためにも、大野は今も走り続けている。
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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