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甲子園を奪われた2020年の高校球児に密着。作家・早見和真が見た世界

小説ではなくノンフィクションであることの意味

早見和真――早見さんはこの『あの夏の正解』をどんな人に読んでもらいたいと思いますか。 「高校野球というものを一方的に決めつけている人に読んでほしいですね。大人達の9割方が、2020年の高校3年の球児のことを『かわいそう』だと思ったはずです。彼らのことを本当にかわいそうな世代だと思っているなら、それは思考停止に陥っているだけなんじゃないかと。それこそ“従来の文法”でしか彼らを語っていないですから」 ――早見さんにとって、今回の『あの夏の正解』は初めてのノンフィクションとなります。小説と違って執筆するに当たって気をつけたことなどありましたか。 「ノンフィクションという意味で言えば、済美高校と星稜高校に甲子園を奪われた監督と選手たちがいるということこそがノンフィクションだと思うんです。今回、そこに小説家という圧倒的な異物が入り込んできて、選手たちに『今、自分が何に直面して、何が苦しくて、どう乗り越えていくのかを考えて、言葉にしてほしい』と言い続け、一方で、監督からは悩みを聞き出していたわけです。  ふと考えると、その作業ってもはやフィクションなんじゃないかと錯覚することもありました。でも、実際に僕という人間が済美や星稜のグラウンドに足を運んで、彼らと直に接しているわけで、『これは現実に起きているノンフィクションなんだ』としっかり心にとどめて、ある種の覚悟を決めて向き合いましたね」 ――つまりノンフィクションである必要性があったわけですよね。 「もし、今から10年後に2020年の夏を書くのであれば、100%小説を選んだだろうと思います。ふだん僕が小説を書くときは、たとえ無自覚であれ、ゴールをぼんやりとでも想定しながら書き進めているからです。  ただ今回の場合は、どこがゴールなのかがまったく見えませんでした。彼らがどんな風に高校野球を引退するのか想像できなかったんです。リアルタイムで彼らを見続け、かつリアルタイムで書き続ける必要がある中で、必然的にノンフィクションという形になったんです。  それと、今回の作品の縦軸が2020年の高校野球だとしたら、横軸は僕の高校野球観だったり、もっと言えば人生観だったと思うんです。その横軸の部分が入ったことで、オーソドックスなノンフィクションとは違った形になっている気がします」

ノンフィクションであることの苦悩

――今回、リアルタイムで見て書き続けるためノンフィクションを書かれたわけですが、やはりフィクションとは違った生みの苦しみがあったと思います。 「話を聞いていく中でいろいろ考えました。例えば、済美の中矢監督は、チームにとっていま何が問題なのか、何が子供たちを苦しめているのかを、僕の質問によって感じ取った可能性もあるわけです。  僕を通して選手の怒りや葛藤に触れていなかったら、中矢監督は必要以上に悩んでいなかったかもしれない。もしかしたら、監督が悩まなかった方がチームはうまく回ったのではないか。なんなら、僕がこのチームのバランスを崩しているんじゃないのか……などと、いろんなことが頭の中を駆け巡りました。  いくら緊張感をもって接しようと気をつけていても、長期間密着するとどうしても関係性ができてくるので、選手と監督の双方が僕を伝達手段として使おうとする瞬間もありました。  選手たちは、監督のこの部分に不満があるんだと、僕から監督に伝わってもいいという覚悟で言ってきたこともあったし、逆に監督は、基本的には僕に対して何も聞かない方針を貫いていましたが、最後の最後、ある局面では『あいつらどうでした?』とポロっと聞いてくることがあった。ノンフィクションとは、いったい何なのかとずっと考え続けていました」 ――ノンフィクションをやる上で、ぶち当たる壁ですね、それは。 「もしその壁にぶち当たっていないノンフィクションライターや新聞記者がいたとしたら、傲慢だと思うんです。『テレビカメラは事実を切り取っている』なんて無自覚に話すドキュメンタリー作家も同じです。  そもそも、僕たちの日常にカメラなんかないって思うんです。いま自分がカメラに映されているんだと思った時点で、すでに何かが変わっていますよね。そもそも、何台ものテレビカメラで17、18歳の少年たちを映し出すこと自体、ある種の暴力だとも思うんです。そういう自覚がない人間はペンを取るべきでも、カメラを向けるべきでもないと、今回の取材で改めて痛感しました」 ――非常に耳が痛い話でもあります。僕らのような“野球村”で生きている人間は、どこか優越感を抱き、傲慢な部分も見え隠れします。なのに、名将には言いたいことも言えず、擦り寄ることばかり考える。早見さんは本の中できちんと両監督に苦言を呈しています。本来ならば僕らのような立場の人間がやることなんでしょうが……。 「もし僕が野球を専門にしているライターだったら、この本を読んで『“村”の外の人間だから好き勝手に言えるんだろう』って怒りが湧くと思います。でも、その怒りも結局は思考停止なんじゃないのかなって。村の中にいながらでも、戦う術は必ずあるはずです。今回、僕は村の外の人間として取材している以上、なおさら、摩擦を恐れたり、無用な忖度をしたりだけは、絶対にしないと決めました」 ――たった一日に何人もの監督さんに話しを聞いて提灯記事を執筆するライターもいます。確かに量産できるけど、同業者としてそんなんでいいのかよと思いますね。 「同感です」 ――僕の経験上からどうしても尋ねたいことがあります。特定の高校を長期間取材して、数多くの高校球児たちと接触していくうちにハレーションって起こりませんでしたか。 「僕には見えなかったんですよね。でも、見えなかっただけで絶対にあったと思います。甲子園大会の中止が決まった5月20日から済美のグラウンドに足を運び、選手たちと付き合い始めてしばらく経った6月中旬頃、とある部員がこう言ってきたんです。 『練習が終わって寮に戻る途中に、みんなでコンビニに寄って早見さんの話をしました。あの人は信用できる人だからみんな聞かれたら思うことをぶつけようって。だから3年生は早見さんの質問に素直に答えます』。これを聞いたときに、嫌な話し合いをされたなと思ったんです。  本当は、『ふざけんなよ、あんなおっさんに何を言えばいいんだよ!』、『俺たちの最後の時間を邪魔しやがって』と思っている選手たちに出会わなければいけなかったのに、そういう気持ちを潰すような空気を作られてしまったなと。実際、あんたが来ないほうが楽しかったと思っている選手は絶対いたはずなんです」
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桐蔭学園の思いで
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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