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縁もゆかりもない愛媛県に住む小説家・早見和真が「東京を捨てた理由」

 名門高校野球部の補欠部員を主人公とした処女作『ひゃくはち』でデビュー後、数々のヒット作を放ち続けている小説家の早見和真。最近の作家には珍しくSNSもしておらず、そしてなぜか縁もゆかりもない愛媛県松山市に居を構える。一部では「謎の作家」とも囁かれる早見は松山で何を思い、何を生み出そうとしているのだろうか。 早見和真

横浜や東京じゃない場所ならどこでもよかった

――現在は愛媛県松山市に住んでらっしゃいますが、地元は横浜。なぜ松山を選んだのでしょうか。 早見:大学時代から旅が好きで、沢木耕太郎さんに憧れて『深夜特急』がバイブルという人間でした。“ここではないどこかへ”の憧れが強かったんだと思います。横浜や東京じゃない場所ならどこでもよかった。単純に憧れですね。 ――いきなり地方に住む不安はなかったのでしょうか。 早見:小説家になった時点で安定した生活ではなくなるわけじゃないですか。月々の給料も退職金ももちろんない。でも唯一「好きなところに住める」という特権だけは与えられている。ライターだったら東京にいなくちゃいけないけど、小説家は自分に価値さえあれば編集者のほうから来てくれるし、原稿はメールで送ることができる。振り返ればなかなかのギャンブルなんですけどね。 ――松山の前は、最初の移住先として静岡県河津町に住んでいました。実は最初の移住先は長崎県の五島列島にしようと考えていたとか。 早見:結婚して新宿のマンションに住んでいたときに小説家デビューしたんです。SPA!でライターをしていたのもその頃。でも、そこがほんとに狭くて、狭い空間に妻も娘もいるから、俺は小説が書けないんだと逆恨み的にずっと思っていた。このまま書けなくて干されたら後悔するという気持ちがどんどん膨らんで、一日も早く知り合いがいなくて書くしかない、“わけがわからない環境”に身を投じなきゃならなかった。そのわけがわからないところの象徴として浮かんだのが五島列島(笑)。 ――実は住む家まで決めていたとも。 早見:そうそう。でも、家も見つけて本気で住むぞと思った矢先、母親に脳腫瘍が発覚しちゃって……。 ――小説『僕たちの家族』でも、お母さまの病気は書かれていますね。 早見:お袋の病気を理由に移住そのものをやめるというのが性格的に許せませんでした。だから、何かあったらすぐに駆けつけられる場所として、今度は伊豆をピックアップしたんです。河津という町も河津桜も、住むまで知りませんでしたけど(笑)。
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河津では必死に小説家として振る舞っていました
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