更新日:2021年07月12日 10:52
スポーツ

73歳の門田博光が語る、野村克也への憧憬「手を洗うふりして“鏡の中の19番”を見てた」

“おっさん”への憧憬、そして共鳴

門田博光

現在の門田博光氏

 野村を“19番”“おっさん”と呼び、「確執なんてもんじゃない」と断言しながらも、どこか親密な表情を浮かべて回顧する門田。  憎らしい相手でありながら、門田が誰よりも追い求めた本塁打を自分よりも多く打った男。その男は監督で、自分は選手。その男は4番打者で、自分は3番打者……。  不満や反発といった野村への感情が、門田のなかに渦巻き続けていたのも事実だろう。だが、門田の心の奥底には、“おっさん”への憧憬、そして互いに真の野球人であるがゆえに共鳴し合う部分があったのではないか――。 「ある日の試合で凡退した後、悔しくてベンチに帰って洗面台で顔を洗ったんです。ふと顔を上げて目の前の鏡を見ると、右打者のおっさんが左打者になって映っとったんですわ。当時はビデオもないし、参考になる左打者がチームにはいなかった。それからはよく手を洗うふりをして“鏡の中の19番”を見てたんですわ。そんなこと、本人には口が裂けても言えませんでしたけどね」

一切の邪念を振り払いフルスイングに邁進

 野村が去った後も門田は南海に留まり続け、主砲として孤軍奮闘を続けた。しかし、門田のホームランが増えれば増えるほど、南海はBクラスが定位置となり、低迷の一途を辿る。  門田がホームランアーチストとしての道を極めていく半面、チーム内での門田の孤立は日に日に深まっていった。 「優勝から遠ざかっていくと、モチベーションを保つのが一番難しいんです。だからこそ、いくら負けていようが『自分がプロとしてやるべきことは何だ』と自問自答し続けた。その一念を体じゅうに染み込ませる。これだけで毎年やりきりました」  高めた集中が一度切れてしまうと、落ちるときは転がるように早い。だからこそ門田は、「自分の仕事はホームランを打つことである」という信念を、強烈な自己暗示として自らに課し続けた。 「人間の理、神仏の理、みんな味方にしないとプロの世界で成績を残せるわけがないと信じきってました。当時は、タバコの吸い殻をポイ捨てしたり、車の窓からゴミを捨てたりする人がたくさんいた世の中ですよ。  でも、僕はそんなこと一回もしなかった。ひとつひとつの行動が何に影響を及ぼすかわからんから、怖かったんです。頭ひとつ抜きんでていこうと思ったら、練習に打ち込むだけじゃなくて聖人になった気持ちで道徳を守らないかんと思ってました」
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40歳にして2度目のキャリアハイとなる44本のホームランを記録
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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