更新日:2021年07月12日 10:52
スポーツ

73歳の門田博光が語る、野村克也への憧憬「手を洗うふりして“鏡の中の19番”を見てた」

40歳にして2度目のキャリアハイとなる44本のホームランを記録

門田博光 こうして心の負い目を徹底的に排除した門田は、一心に素振りを繰り返し、ホームランを量産し続けていく。  そして、40歳にして2度目のキャリアハイとなる44本のホームランを記録。40代での本塁打王・打点王の二冠獲得は後にも先にも門田しか成し遂げていない大記録だ。  誰よりも遠くに飛ばしたい、ホームランを打ちたい――。己の信念を貫くために、誰に何を言われようと心身を極限まで鍛え上げた門田の野球人生は、狂気にも似た求道者と呼ぶにふさわしいものだった。  “おっさん”に抱き続けた複雑な情念。それさえも糧にしながら、常人には真似できない次元で信念を貫き通したからこそ、門田は不滅の大記録を打ち立てることができた。それと同時に、信念を貫き通したからこそ、今もなお“一匹狼”のままである。

唯一、南海時代に野球談議を交わした男

 そんな門田が唯一、南海時代に野球談議を交わす男がいた。 「江夏豊とは南海時代に家の方向が一緒だったこともあって、よく一緒に車で帰って野球談議したもんです。『江夏は怖い』というイメージがありますが、僕はおっさんしかり、誰であろうと話してみんとその人の本質はわからんという考え。  当時西武の監督だった広岡達朗さんだってそうです。冷酷な人だと聞いていたけど、オールスターで会ったら、とても朗らかで気さくに話しかけてくれて、世間でのイメージとは全然違った。やっぱり、人って会って話してみないとわからんもんですよ」  今なお破られぬシーズン401奪三振の記録をもち、記録にも記憶にも残り続ける左腕・江夏豊。そして、選手・監督・解説者として戦後のプロ野球を70年近く見てきた広岡達朗。  次回からは、ふたりの“確執と信念”について掘り下げていく。 【門田博光】 ’48年、山口県生まれ。左投左打。’69年にドラフト2位で南海ホークスに入団。2年目にレギュラーに定着し打点王を獲得。’81年には44本の本塁打を放ち初の本塁打王を獲得したほか、晩年も打棒は衰えず40歳にして本塁打王と打点王を獲得。「不惑の大砲」と呼ばれた 文/松永多佳倫 撮影/荒熊流星 写真/産経新聞社
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


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昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊

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