名将・広岡達朗が誓った“巨人への復讐”。最弱球団を率いて2年半で達成
近鉄から監督のオファー
「ヤクルトを辞めてから2年がたった’81年に、阪神、近鉄から監督のオファーがあった。知り合いを通じて阪神の球団社長・小津さんから連絡があり、会ってみると『3年契約でお願いできませんでしょうか』と監督要請の話をされた。でも、俺は5年契約を要求した。というのは3年契約だと選手たちが『どうせ3年経ったら辞めるんだろ』とバカにして言うことを聞かないんだ。だから、やるなら5年契約でやらないと意味がない。こうして阪神の監督就任が破談になった後に、今度は根本さんから西武の監督へと誘いを受けた。最初に長嶋に断られ、上田(利治)にも断られ、そして俺のところへ話が来たんだ」
こうして、’82年には西武ライオンズの監督に就任。最初に取り組んだのは技術的なことでも戦術的なことでもなく、“食生活の改善”からだった。
打って投げて、試合が終わったら肉とビールをかっ食らう。これが当時のプロ野球選手のスタンダードという時代だったが、広岡は疲労回復を促進するアルカリ性の食物を多く摂るよう選手に求めた。「コンディションの維持などアマがやること」という風潮が強かった当時の野球界では、広岡の考えは極めて異端だった。
新生ライオンズの礎を築くも……
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。
記事一覧へ
記事一覧へ
この特集の前回記事
【関連キーワードから記事を探す】
この記者は、他にもこんな記事を書いています








