更新日:2021年08月22日 14:20
仕事

これが電子書籍? 挑戦を続ける製本会社の“アイデアが生まれる現場”に密着

「何とか製本業に陽の目を浴びさせたい」との思い

篠原慶丞さん まるで“天職に就いた”かのように思える篠原さんだが、意外にも「若い頃は、家業を継ぎたくないと思っていた」という。 「僕はもともと、車の整備工や家具職人になりたかったんです。子供の頃から、時計をいったん分解してから組み立てるなど、機械いじりが好きでした」  父の経営する会社に入ったのは、19歳の時。仕事はまったく面白いと思えなかった。 「車をいじる仕事につきたいと思っていたけれども、資格も持っていない。それに、いい労働条件の仕事もなかなか見つからなかった。『どの求人も給料安いし、遠いなあ~』と悩んでいたところ、当時は自宅の建物が会社だったので、『いちばん手っ取り早い仕事場だ』という理由で働き始めました。でも、ずっとここで働くつもりはありませんでした」 篠原紙工の仕事4 そんな篠原さんが、どうしてこんなに情熱を持って仕事をするようになったのだろうか。 「他社がやらないような、いろんなアイデアを活かせるようになってきて、途中から少しずつ面白くなってきました。自分のモチベーションが上がってきたところで、さらに気持ちを盛り上げてくれたのが8年前のこと。新卒で働きたいという大学生が出てきたんです」  それまで、大卒の就職希望者はいなかった。当時は篠原紙工に限らず「製本会社で働きたい」と応募してくる人は誰もいなかった。出版社や印刷会社はイメージできても、製本業という仕事についてはまったく知られていなかったのだ。 「100人中100人が『働ければ何でもいい』『家から近くて便利だから』といった理由で応募してきました。それがとても嫌だった。自分も働きたくて入ったわけではないので、『何とか製本業に陽の目を浴びさせたい』と、ずっと考えていたんです。いつの日か『篠原紙工で働きたい』という人が出てくるようにしたい、と」

「ぜひ篠原紙工で働きたい」という人たちが入社してきた!

篠原紙工の仕事5「このまま、発注側の言うままにモノを作っているだけでは注目されることはない」と考えた篠原さんは、ただ単に「早く・安く」といった請負仕事をやるだけではなく、オペレーターのアイデア・裁量が活かせるような、やりがいのある仕事の受注を増やしていった。 「いろいろ変わったことをやり出したのが14~15年前くらいからです。その頃はまだ、会社としてはちぐはぐな感じでした。でも徐々に社内にも社外にも仲間が増えていって、僕1人でやっていたのが5人、10人と増えてきた。すぐに変わったわけではなく、継続して新たな試みを続けているうちに、周りの人もそのマインドに少しずつ変わっていきました。  それで『何か面白いことをやっている会社があるぞ』と注目され始めたのが10年前くらい。そして8年前に初めて『印刷会社でもほかの製本会社でもなく、篠原紙工で働きたい』という新入社員が入ってきた。これは本当に嬉しかったですね。その後も『ぜひ篠原紙工で働きたい』と就職を希望する人たちが増えてきました。今のウチの若い社員たちは、みんなそういう人たちです」  こうして高いモチベーションをもって入ってきた若い社員たちは、自発的にそれぞれのアイデアを活かしながら働いている。 「僕が仕事の指示を出す前に、社員たちから『これをやりたい、あれをやりたい』というアイデアがひっきりなしに出てきて、独創的な企画をどんどん実現していっている。僕がほとんど知らないうちに進んでいる企画もたくさんあります(笑) 『チームとなって新しいことに挑戦する』という姿勢も社内には浸透していて、失敗したとしてもみんなでカバーしてくれる。そこは安心して見ています。僕はいま社長ですれけども『何かを作ろうと思ったら、1年目も社長も一緒だ』と言っているんです。同じチームの仲間だと。そこに上下関係はありません」
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