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田尾安志、楽天初代監督オファーに「地獄に落とさないで」…それでも引き受けたワケ

半世紀ぶりに産声を上げた新球団

田尾安志「確実に最下位になる球団の監督がどうなるか知っていますか? 周囲からの評価はガタ落ちになり、否が応にでも厳しい立場に晒されます。今の状態で満足しているので、地獄に落とさないでください」  それでも、最終的に田尾は地獄の一丁目への片道切符と承知の上で楽天の監督を引き受ける。それは、新設球団が成功するか否かが今後の球界にとって大きなポイントになるという確信と、「これはチャンスだ」と言ってくれた家族の協力があったからこそだった。  半世紀ぶりに産声を上げた新球団。その船出はドラマチックであり、ある意味予想通りでもあった。  開幕戦こそエース岩隈の力投により3対1で勝利したが、第2戦で0対26という歴史的大敗。そこからチームは4連敗を喫し、浮上の芽を摑めないままシーズンを過ごすことになる。

中日時代の同僚が語る逸話

「球団立ち上げのときに、エクスパンション・ドラフト(新規参入チームの戦力確保のために行う既存チーム所属選手の分配システム)をやると聞いていたのに、いつの間にか話は立ち消え。全球団から2人ずつ選手を出してもらうという話も、なくなってしまいました。やっぱり、あれだけ弱いチームをつくってしまうと野球界にとってもダメですよ。最初の段階で、もう少し整備してほしかったですね」  結果、オリックスと楽天で分配ドラフトを行い、オリックスがまず25人の選手をプロテクト。それ以外の82選手を両チームで分け合うことになったが、一流と呼べる選手は残っていなかった。  最初にNPB側が戦力確保策を示唆しておきながら立ち消えとなったことは、田尾にとって堪え難かったに違いない。そもそも田尾とは自分の意見をはっきりと言う一本気な男だった。中日時代の同僚、宇野勝は笑みを浮かべながらこんな逸話を語ってくれた。 「近藤貞雄監督の時代、何年も前のことなのに『選手が門限を破ってラーメンを食べている』と中日スポーツに書かれたんです。それで北海道遠征では外出が禁止に。そしたら田尾さんが『普段、新聞なんか気にするなって言っている近藤さんが一番気にしている。こういうときだからこそ外出するんだ!』と選手を引き連れて堂々と街に出ていきました」
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在籍した9年間を振り返る
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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