“一発屋”タレント・鼠先輩の今。ブレイクから13年「2発屋を狙ってます」
「当時と変わらないのは、パンチパーマぐらいでしょうか」
かつて強面のスタイルと「ぽっぽ」を連呼するコミカルなフレーズでバラエティ番組を中心に大ブレイクしたタレント・歌手の鼠先輩(48歳)。
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現在、東村山市久米川で飲食店をプロデュースしながらイベント出演などのいわゆる“営業”で生計を立てている鼠先輩。外見としては、当時とほとんど変わっていない様子。その一方で、内面としてはどうなのか。
「テレビに出ていた頃は、分刻みのスケジュールで本当に忙しかった。ただ、とにかくしんどくて。適当に『ぽっぽ』言っておけばいいんだろうと、“やっつけ仕事”だった時期もあるかもしれない。
ブームが去って、もう一度売れたいとも思わなかったけど、あれからずっと冷や飯を食ってきた。干支が一周して、今はめちゃくちゃ再ブレイクしたいという気持ちが湧いてきました。やっぱり、お世話になってきた人たちに恩返しがしたいんです」
最高月収は約1200万円。そこから収入は「ウナギ下がり」と本人は言う。ここ2年間はコロナ禍の影響もあり、スケジュール帳を開くことさえなくなった——。
「歌手になるか、お笑い芸人になるか。10代の頃から芸能界を意識していました」
鼠先輩は中学2年生の頃にバンドを結成、音楽の道で食べていこうと決意した。そして高校時代、NHK主催の「BSヤングバトル」岡山大会で優勝したことをきっかけに「本当にプロでもイケると勘違いしてしまった」と振り返る。
高校を中退後、アルバイトで100万円のお金を貯めて「(世界の)音楽を勉強する」という名目で3〜4年間に渡って海外放浪。インドやネパールに長期滞在していた。
「いま思うと、単純に働きたくなかったんでしょうね(笑)。帰国後は、とにかく30歳まではバンドを続けて、そこで芽が出なかったら辞めるつもりだった。
だから、音楽の夢を叶えるために清掃業やキャバクラのボーイなどのアルバイトと並行していました。学歴もなく、手に職もなかったので」
しかし、30歳を迎えてもメジャーデビューできる気配はなかった。鼠先輩は、プロの道を諦めることにした。
2008年、歌謡曲「六本木~GIROPPON~」にて35歳で遅咲きのメジャーデビュー。オリコンの演歌部門で1位を獲得した。その後、すぐに引退を発表……したかと思えば、しれっと活動再開。当時は大きな話題を呼んだが、長くは続かなかった。いわば、芸能界から一瞬で姿を消した“一発屋”だ。
彼はいま、何をしているのだろうか。今回は、デビュー秘話をはじめ、約13年の月日で「変化」したことなどを直撃。そこには、虎視たんたんと“2発目”を狙う姿があった!
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最高月収1200万円、そこから収入は「ウナギ下がり」
バンド活動とアルバイトの日々
明治大学商学部卒業後、金融機関を経て、渋谷系ファッション雑誌『men’s egg』編集部員に。その後はフリーランスとして様々な雑誌や書籍・ムック・Webメディアで経験を積み、現在は紙・Webを問わない“二刀流”の編集記者。若者カルチャーから社会問題、芸能人などのエンタメ系まで幅広く取材する。X(旧Twitter):@FujiiAtsutoshi
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