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「日本政府は私をドブネズミのように扱っている」難民申請者たちの“届かない声”

日本政府は私をドブネズミのように扱っている

エリザベスさん(右)は、日本中の難民申請者のために訴える

エリザベスさん(右)は、日本中の難民申請者のために訴える

 今年は入管法改正の廃案や、名古屋入管施設内でのスリランカ女性ウィシュマさんの死亡事件などが大きなニュースとなり、入管の問題が次々と明るみになっていった。しかし残念ながら、まだまだ渦中で苦しむ当事者たちの声は広く世の中には届いていない。このことに懸念を示したナイジェリア出身の難民申請者エリザベスさんが仲間を集め、4名の当事者たちがそれぞれの思いを語った。  エリザベスさんは1991年に来日。ナイジェリアは内戦の影響で、外部から武装勢力も国内に入ってきていることから、非常に危険な情勢となっている。本人は帰国を拒んでいるが、難民としては認められないままだ。2度の収容経験もあり、収容施設外で生活をしていても「仮放免」という立場で、住民票・健康保険証・就労許可がないなど、厳しい制限のある生活を強いられている。 「自分たち仮放免者はここにいるのに、まるでいないかのよう。日本に来れば安全だと考えて30年。日本政府は私をドブネズミのように扱っている。次の(岸田)首相に訴えたい。私たちを働かせてほしい。保険に入れさえすれば死なずに済む」  またエリザベスさんは「外国人と結婚した日本人もまた、配偶者にビザが出ないことで苦労している」と訴える。「日本人までも苦しめないで、そして自分たちへの差別をやめてほしい」と切実な気持ちを吐露する。

警察が日本人妻に離婚を促し、家族を失った

自身の重い半生を語るルイスさん(左から2人目)

自身の重い半生を語るルイスさん(左から2人目)

 カメルーン国籍のルイスさんは2002年に来日した。彼の人生は非常に複雑なものだった。ルイスさんは子供の時に政治的な理由で中央アフリカ共和国に移住したが、2001年にクーデターが起き、生活が危うくなってきた。コンゴ民主共和国に逃れたが、内紛のために安住できなかった。ブローカーを通じてたまたま入手できた日本のビザを利用し、命からがら日本に渡ることに成功した。  ルイスさんには日本人の配偶者がいて、在留資格もあった。しかし知人に商談の通訳を頼まれたことがきっかけで、やっと安定してきた生活が壊されてしまった。その取引が詐欺だったのだ。そのことに気づいてすぐに手を引いたが手遅れで、ルイスさんも警察に捕まることになる。 「警察は、妻に私と別れるように圧力をかけました。嘘の結婚をしたとか、他に複数の女性がいるなどと嘘を吹き込みました。妻は私の言うことに耳を傾けず、そちらを信じてしまったのです。すでに私たちには娘が一人いました。警察が妻に、子供と逃げて妊娠中の子供は中絶するように促し、妻はその通りにしてしまった」  その後ルイスさんは有罪となった。刑期を終えた後も、入管の収容施設で4年以上過ごすことになった。 「入管の収容施設に入ってから、『日本は良くない国』と考えるようになった。名古屋入管で亡くなったウィシュマさんや、大村入管で亡くなったサニーさんは体重が20kg減ったと聞く。収容施設の中で私は30kg減った。施設内にいる医者は外部の病院に連れて行こうとしたが入管職員は拒否した。ただ私が今にも死にそうなことで、泣いてくれる優しい職員もいた。  今日にいたるまで子供に会っていません。娘にだけでも会いたい。本当は亡くなった子供も返してほしい」  家族を失い、ルイスさんの傷ついた心が休まることはない。
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父親は入管施設で“謎の死”、遺体の額には大きな傷が
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おだあさひ●Twitter ID:@freeasahi。外国人支援団体「編む夢企画」主宰。著書に『となりの難民――日本が認めない99%の人たちのSOS』(旬報社)、入管収容所の実態をマンガで描いた『ある日の入管』(扶桑社)

ある日の入管~外国人収容施設は“生き地獄”~

非人道的な入管の実態をマンガでリポート!


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