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「日本政府は私をドブネズミのように扱っている」難民申請者たちの“届かない声”

父親は入管施設で“謎の死”、遺体の額には大きな傷が

「父親の遺体に傷があった」と写真を見せるジョージさん

「父親の遺体に傷があった」と写真を見せるジョージさん

 スリランカ人のジョージさんは2014年に来日。民族紛争が収まらない国内で、彼は野党を支持していたため、与党政権から命を狙われるようになった。家族とともに日本に逃げることを選んだ理由は、「日本のビザが取りやすかった」からだという。  同年、父親のニクラスさんも観光ビザで入国してきたが、羽田空港でなぜか入国拒否をされる。東京入管に移送され、日本に来てわずか10日でニクラスさんは“謎の死”を遂げた。ジョージさんはこう語る。 「お父さんは11月22日、入管に殺された。(体調悪化を訴えていたのに)死ぬまで病院に連れて行ってもらえなかった。個室に入れられて、監視カメラで撮っているだけで放っておかれた。これはウィシュマさんの件と同じ。しかも遺体の額に大きな傷があった。(その傷については)入管も警察も『わからない』と言っている。  これは本当におかしいです。診断書すら出ませんでした。(入管は)父がなぜ死んだのかを教えてはくれなかった。でも、自分たちも難民だから立場が弱く、強く言うことができなかった。半年の特定活動ビザを切られたら自分も家族も困ってしまうから。  しかし、その3年後にビザは切られて仮放免となってしまった。今から父のことで裁判をしようにも、すでに時効になっていました。そして入管からは『国に帰るように』と言われました。何もかもが酷すぎる……」  ジョージさんは涙を流し、声を振り絞りながら必死に訴えた。

「裁判官はクルド人迫害のニュースを見ていないのか」

左から通訳、エリザベスさん、ルイスさん、ジョージさん、アリさん

左から通訳、エリザベスさん、ルイスさん、ジョージさん、アリさん

 トルコ国籍でクルド人のアリさんは、クルド人であることから差別・迫害に遭う危険を目の当たりにしてきた。成人して、いよいよトルコの軍隊に入隊させられそうになった1993年に来日した。日本とトルコはビザ免除協定が結ばれているため、先にいる親戚を頼り、日本へやってきた。  当時は難民申請のやり方がわからなかった。当初、警察はビザがなくても取り締まることはなかった。しかし高度成長期の時代も終わり、だんだんと厳しくなってきた。ある日、警察に捕まり、それから収容と仮放免を何度も繰り返してきた。  2009年に日本国籍の女性と結婚したが、ビザは「理由がないから」と認められなかった。アリさんは日本で生きていくために何度も裁判を起こしたが、2020年の地裁判決で敗訴した。  その理由は「トルコは、今は平和で自由な国。ネットは自由に使えるからオンラインで妻とやり取りとりをすればいい。それが嫌なら、妻もトルコで暮らせばいい」という内容だった。2021年は高裁でも敗訴し、現在は最高裁に上告している。 「唯一安心したのは新しい法律(入管法改正案)が廃案になったこと。通っていたら私がいちばん先にトルコに帰されていただろう。6回も難民申請しているから。それは良かったけれど、これからどうなるのかは全然わからない。トルコではクルド人への迫害が続いているというのに……。裁判官はテレビや新聞のニュースは一切見てないのかと疑ってしまう。裁判所の態度が変わらない限り、入管は変わらない。  だけど私は28年日本にいるから、たくさんの友人がいる。その人たちからもらった愛情、サポートなど、私は十分満足しています。たくさんの人が守ってくれた。入管なんかどうでもいい。もう先のことは考えていない」  長く日本で生活をし続け、日本で生きることを決意している人たちをこのような絶望的な気持ちにさせる扱いをしてよいのだろうか。まして、帰れば命の危ない人たちだ。そんな人たちを救済するどころか、この国から追い出して、国際社会の一員と言えるのだろうか。彼らだけではなく、まだまだ拾われない声がたくさんある。どうか一人でも多くの、彼らの声に耳を傾けてほしい。 文・写真/織田朝日
おだあさひ●Twitter ID:@freeasahi。外国人支援団体「編む夢企画」主宰。著書に『となりの難民――日本が認めない99%の人たちのSOS』(旬報社)、入管収容所の実態をマンガで描いた『ある日の入管』(扶桑社)

ある日の入管~外国人収容施設は“生き地獄”~

非人道的な入管の実態をマンガでリポート!

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マスコミが報道しない、非人道的な
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