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妻に「復職してほしい」と言えなかった男が取った、理論武装という形の屁理屈

「口に出しては言えないけど、察してほしい事柄」を”論理”で覆い隠す

 考えてみると、ディベートなどをやればすぐわかるように、論理というのは立てようと思えばどちらの立場でも立てられるものです。実生活においてどんな論理を採用するかは、実は自分のニーズに基づいているのだと考えることができます。  そのような考え方に立ってみると、先程の悩み相談についてどんなふうに捉え直すことができるでしょうか。  話し合いの主題は「子どもが小さい時から保育園にいれるのはかわいそうなことかどうか?」でしたが、その背景にあるのは「妻に復職して欲しい」というニーズです。  つまり、「復職することが当然である」という主張をするために「子どもはかわいそうではない、なぜなら〜」と論理を立てたと考えることができます。  ではさらに、なぜ「妻に復職して欲しい」のか、そのニーズの背景を探ると何があるでしょうか?  ここで相談者が本当に伝えたいこと、わかってもらいたいことは「子どもを保育園に行かせないことによって、専業主婦になる妻の分も、夫である自分がより一層稼がなければいけないのではないか!?」という大変さ、不安、恐怖なのです。  自分がこのニーズを持っているのだと認められたら、「子どもがかわいそうかどうか」についての議論などもはや全く意味がないことに気づくはずです。その論点は、自分の深いニーズに比べて表面的なものに過ぎないからです。

本当に言いたいことは、自分の弱さと関係している

 パートナーからすれば「そんなのおかしいだろ、論理的に考えて〜いいから保育園に入れろ」などと言って自分を攻撃してくる人間が、まさか「自分が一人で稼げるか不安だ、怖いよ…一緒にがんばって欲しいな……」と不安に怯えているなどと思えるわけもなく、ゆえにその不安をケアしたり寄り添ったりすることができず、傷つけあって終わってしまうのです。    なぜこうなってしまうのか。それは自分の弱さを認められず、弱さを認めることは格好悪く、ダメなこと、恥ずかしいことだと思っているからでしょう。しかし、事実そのように感じている不安や恐怖は、そこにあるものであり、現実なのです。  もしかしたら、その不安を率直に伝えていたら、パートナーに「そういう理由で嫌だったんだね。実は自分も友達にこういうことを言われて……」と、感情に寄り添ってもらった上で、相手の主張の背景にあるより深いニーズを教えてもらえたかもしれません。  多くの話し合いが「わからせあい」になったり、一方的な「命令」になってしまうのは、その主張や考えの背景にある「自分のニーズ=弱さ、不完全さ、他者なしには満たされないもの」があるにもかかわらず、それを無視しているという背景があるのです。
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被害者のためのDV・モラハラを見抜くポイント
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DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか

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